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2013/04/05

Parrocchia Sant'Angelo


復活祭の休日で開いてたので何となく入ってみたが、ダイナミックな構成の中庭でおもしろかった。
それにしても、ミラノ人どこにでも緑を置いている。

Aldo Rossi, Berlin

ベルリンで見たアルド・ロッシの集合住宅。
一区画まるごとアルド・ロッシ、ゴッツ・ヘルマン、ワルター・ベームという三人の建築家が設計したことになっているが、おそらくデザインに関してはほぼアルド・ロッシがやったんじゃないかと思う。
よく見ると同じデザインコードが繰り返されていることが分かるが、様式建築も間に挟んだりして一つの街並みのような表現をしている。
ベルリンにあるその他多くの現代建築は大きなフットプリントで威圧的だが、このアルド・ロッシの試みは興味深かった。



2013/04/01

Berlin


ベルリンで現代建築を多くみたが、写真のパリス・バーが最も印象に残っている。アイゼンマン、ゲーリー、フォスター、チッパーフィールド、ペイよりも。
創業者の友人であるMartin Kippenbergerの作品が壁に多く飾られている。床、照明、机、椅子、カウンターそして従業員も良く、すべてが照応して場所の魅力ができている。

このバーにいると、空間を豊かにしているのは建築家やデザイナーではなく人だという感じがする。ベルリンでもう一つ印象に残っているポニー・バーにしても同じである。
こういったバーがミラノにないということから考えても、やはり街も場所も、デザインした人よりも使い手、人の魅力が空間を作っていて、建築自体の魅力が空間を豊かにしているのではないんじゃないかと思ってしまった。

大学院の時に机上の独り言をプレゼンしている僕たち学生に先生が怒り、「建築に解決できることなんか、生活で四つ目くらいに大事なことだ。」といった言葉を思い出す。

一方でフォスターやゲーリーの作品がベルリンに来ている一般の観光客を多く集めているのには素直にすごいと思った。
フォスターの国会議事堂クーポラを見るために氷点下の中、外で行列ができていたのには驚いた。
とはいえ、それらにしても建築単体を見るために人が集まっているわけじゃない(ゲーリーのドイツバンクは除く、おそらく美術品を見るような目で見てる)。
美術館であれば、そこにある美術品や展示、フォスターのクーポラでは、そこから見える景色や既存の国会議事堂なども含め、すべてが総動員されて空間の魅力になっているわけだから、やはり建築は空間を創造する手伝いをしてるだけじゃないか。

建築は主役足りえない。手伝ことがあっても手伝われることはない。自己言及をしてはいけないのは人も建築も同じだとつくづく思った。