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2020/07/08

Weightless Ikebana



不定形な積み木、重力とは違う力が働く生け花、何とも言い難い玩具を開発しています。

2020/07/07

Hera-shibori of Yosimoti @Osaka



神戸、元町にオープン予定のレストランの照明を製作して頂くべく、吉持製作所さんに見学及び打合せに伺わせて頂きました。その際に実演して頂いた動画です。ホスピタリティ、サービスに溢れたお二方でした。

2020/06/21

Gravitational Field Light

異なる複数の事物からできた重力場をコンセプトとした照明のスタディモデルを3Dプリンターで作ってみました。

2020/06/17

Experiment for "Co-creation with invisible"






目に見えないものとの共創するための実験をしています。
どんなアウトプットになるかまだ分かりませんが、既に予想外の動きがあります。

2020/06/11

FHP Market Gargoyle Test



FOOD HUNTER PARK @和歌山
今日の雨で農産物直売所の先端に付くガーゴイルの作用が観れました。
想定していたよりも綺麗に雨水が螺旋状に落ちています。




2020/06/06

Space Toy Prototype #01, 02





幼児と高齢者が一緒に遊べるような玩具を開発しています。 その一つの試作として宇宙や重力場のようなコンセプトモデルを試している動画です。

2014/10/30

無垢一枚板化粧無


近所の焼鳥屋で飲んでいて家に帰ったとき、吉田五十八の「饒舌抄」に書いてある、ある古老が話す「良い家とは」の以下のくだりを思い出した。
まあかりに私が、新築した家へ、招ばれたとしますか、そして、そのお宅へうかがって、一わたり家を拝見して、ウウ、なるほど、相当の家だが、さりとて、ここがばかにいいといってとりあげるほど、いいところもないかわりに、悪いところもなし・・・と考えながら、そこのあるじさんと、いろいろ話しをしているうち、なにかこう心がだんだんと、あたたまってきて、・・・さて帰る段になると、なんとなく、心がひかれて、去りがたいような気がして・・・家へ帰ってからも、なにかもう一度、あの家へ行ってみたいような・・・
他にも、パリである婦人に聞いた「本当の巴里の粋」についてのこんな話も書いてある。
『かりにあなたが、巴里のブルバールで一人の婦人とすれ違つたとします。その時あなたは馬鹿馬鹿しく綺麗とは思はないが一寸好ましいなりをしてゐると思って、通りすぎて又もう一度見ようとふり返って見る。そして家に帰つてきても、あのなりはよかつたなあと思ふ。これが本当の流行の極致で巴里の粋人なのです。』と。(中略)
私は、新築した家に行つてこれは立派だとは思ふが自分が住む気にはなれない。しかしこんな家に住んでみたいと思ふ家がある。私はこの方が本当の建築だと思ふ。女でもさうだ。あの人は綺麗だなと思ふ。しかし綺麗さだけでは親しめない。あまり綺麗ではないが、何となく親しみを感じてこの人となら一緒に居てもいいと思ふのと似てはゐないか。
二つの話共、家に帰った後じわじわと良さを感じると言っているのが面白い。
そして吉田は、他人に見せようとして目立ったものより、自分がつつましく満足しているが何か物足りないものが良いという。 設備家の友達が「本当に居心地の良い環境とは何も感じないことじゃないか」と言っていたが、それと似ているかもしれない。暑くもなく寒くもない。
写真のカウンターは無垢一枚板の檜で化粧も無く目立ちはしないはが、やけに肌にしっくりくる。これみよがしなものは何もなく、また行きたくなる店。

2014/02/09

Studio Vico Magistretti

ミュージアムとして一般公開されているVico Magistrettiのミラノにある事務所を訪れた。
彼がやった仕事量からすると驚くほど小さい事務所であるが、彼は事務所を始めてから死ぬまでアシスタントを一人雇っていただけで、一人でここで働いていた。彼と働いたメーカーなどがそれぞれ彼専用のアーカイブを持っているため小さい事務所でも大丈夫だったようだ。
彼が手がけていたのはコンセプト・デザインと基本図面だけで施工図面などは仲間の事務所に任せていたらしい。
インタビューでも答えているが、彼はデザインにおいて他者、異業種の人々との対話を基本にしていたようだ。「孤独に対する勝利」とまで言っている。常に一人で動き、プロジェクトごとに組織をダイナミックに編成するための働き方だったのだろう。

建築模型が飾ってある会議室
Maralungaの実験模型のようなものも置いてありチェーン構造が見える。

会議室には彼がデザインした椅子がバラバラに置いてあるが、テーブルは彼がデザインしたものを置かず(おそらく)アンティークものを置いているのが興味深い。仕事机も同じものを使っている。

仕事部屋の窓
仕事部屋の窓には、彼の座っている位置から隣地の教会が見えるように鏡が貼ってある。
アッキレ・カスティリオーニも事務所内の角に鏡を置いていたが、彼の場合はイタズラ心で訪問者に実際座っている位置とは違う位置で自分を見せるためだったらしい。マジストレッティの場合はあくまで外向きの視線でありカスティリオーニとは対照的に感じた。
僕がずっと気になっていた彼の言葉で「シンプルとはこの世でもっとも複雑なものだ」というものがあるが、仕事場を見ているとより彼の「シンプル」というものが、言葉ほど単純なものではなく、理解するのが難しいものであると感じる。
アンティークの家具、窓際に貼った鏡、ボードに貼られた無数のメモ、イメージなどを見ていると彼が言う「シンプル」とは排除していくことではなく、世界中(特に日本)で流行っているシンプルさとは一線を画すという印象を受けた。
彼のいうシンプル、単純には複雑が内包されている。

2013/08/16

Bookshop with Barber, Oslo, Norway



オスロで発見した散髪屋兼本屋。
古本に興味あったので入ろうとしたら、どう見ても扉は一つしかないから思い切って入ったら散髪屋だった。しかも店主は写真のアジア系の女性一人。

なんてクリエイティブなおばちゃんか。
これなら順番待ちしてるお客さんも暇しないし、気に入ったら買って帰れる。
古本も魅力的だったが、他にも古切手や古ポストカードも置いていてとても魅力的。

その中でも僕が一番しびれたのは、誰が撮ったのか分からないようなスナップ写真や試し焼きがされた印画紙。それらがゴミのように無造作に束になって積まれている。
これも売ってるのかと聞くと、お前そんなにに興味あるのかというようなビックリした目で僕のことを見て、売ってるよと一言。
どこの誰だか分からない人が彼、彼女の視点で切り取った当時のノルウェーの誰だか分からない被写体が写っている写真に何か惹かれて数枚買った。

店主に値段を聞くと、そんなに価値があるものかと疑うような感じで写真の表裏を確認してから一枚50円くらいの値段で売ってくれた。
ノルウェーの物価が高いにしても、自分はゴミのように積んでたくせに高い、少し足元を見られたかもしれない。


2013/01/17

シンプルと怠惰

先日事務所で、プレゼント用に包装紙を巻いてくれと言われたので、何となくならできるがプロフェッショナルなやり方は知らないと言ったら、同僚のイタリア人にお前はそんなのも知らないのかと言われ、彼女がやって見せてくれた。
彼女は、これくらいイタリアで覚えて帰りなと冗談交じりで言いながら包んで誇らしげに僕に見せたが、僕はできたものを見て愕然とした。誰でもできるような普通の包み方でテープもあちらこちらに張りまくりで汚かったからだ。
僕が言ってたのはそういうのじゃないと、youtubeで日本のデパートの包み方を見せたら、皆びっくりして、綺麗だが日本人は何でこんな複雑なことをやるのかとイタリア人達は言っていた。

そこから、いろいろと考え始めたのだが、おそらくシンプル、簡素に対する感覚が違うんじゃないかと思う。
イタリア料理を考えてもらえば分かるが、イタリアの料理はある意味シンプルで素朴である。
素材の味が濃く豊かであるため余計な味をつける必要がないという。
一方、日本料理の職人さんに聞くと、寿司などシンプルな料理に見えるものでも、仕込みが大変らしい。
建築でも、日本建築の複雑な継手と仕口に比べるとイタリアの建築は組積造にしても木造にしても、装飾こそ複雑なものの単純な造りである。
少し強引かもしれないが、ここまでの例で分かるのは、一般的にイタリアはプロセス、製造過程においてはシンプルに進めるが結果は必ずしも簡素なわけではない。
一方、日本では結果的な簡素さ若しくは日本の美的感覚を求め、プロセスは非常に複雑である。

そもそもシンプルという言葉自体使い古されて何のことなのかよく分からなくなってきていないか?
まず日本のものがシンプルという言葉にすべて当てはまるとは思わないが、松岡正剛がいうように「引き算の文化」であるとは思う。
しかし完成品は引き算されているが、そのおかげでプロセスは複雑になり逆に足し算されていると感じることもよくある。さきほどの料理や建築の例を見てもそうではないか。
例えばアップルの製品なども非常に引き算されたプロダクトだと思うが、製造過程をシンプルにしたらあんな形にはならないはずだ。確か、ipodの裏蓋なんか山形に持って行って職人さんに磨いてもらいてる。

ここまで考えると、VIco Magistrettiがインタビューで語っていた「シンプルさとはこの世で一番複雑なことだ。」という言葉や、原研哉が茂木健一郎との対談で語っていた「シンプルとカオスは同じことを違う方面から見て言ってるだけのように思う。」という言葉が響いてくる。

誤解を恐れずはっきり言うと、例に挙げたイタリアのプロセスにおけるシンプルさは怠惰からくるものであってマジストレッティが言っているシンプルとは違うものだと思う。マジストレッティが言っているシンプルは日本のそれに近いと思う。

あとこれはあまり誰も言っていないが、なぜ無印良品が世界中でこんなに人気があるかについて思うことがあるので記したい。
あそこまで人気があるなら、他の売れてない家庭用品会社など真似すれば良いのにと思うが、(僕の完全な予想だが)プロセスが複雑すぎて誰も真似できない。
デザインがシンプルだとか、素材もそこそこ良いなど他にも理由はたくさんあるだろうが、僕にはそれらの理由はすべて結果的な次元の話に思える。
なぜオンリーワンで未だに売れているかというと、それらの結果的次元の理由を実現するためのプロセスが複雑すぎて簡単には真似できないからじゃないか?
イケアの製造過程で無印のデザインは生まれない。

仕込みのレベルの高さ。これこそ日本が海外に誇れるものじゃないか。
それは射程時間が長いとも言える。場当たり的に動いてない。

一方で場当たり的に動くシンプルなプロセスが作りだす美も存在すると思うので、それについてはまた今度書いてみたい。おそらくキーワードは事故とかになってくるのではないか。