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2014/04/15

微弱なる電流

自転車で近所をブラブラしていると、どこからかラテンの香りがする音色が聞こえてきた。記憶を刺激され、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなった。よく見ると、スーツを着た中年男性が休館日の図書館の駐輪場でクラシックギターを弾いていた。
話を聞いてみると、家では練習できず、ここなら邪魔にならないだろうと、ひっそり練習しているという。フランシスコ・タレガのアラビア奇想曲をとても上手に弾いていたが、こういう人こそ誰もいない駐輪場じゃなく、もっと人目につく所で演奏して欲しいと思う。



J-POPを流すのは良くて、こういった素晴らしい音楽を家で練習できないって、どんな社会かと思う。だけど表にはあまり出てないが、マジョリティの圧に負けずに影で活動している人もたくさんいるはずだ。なんてことを考えながら、さらに自転車を走らせると小さな鉄工所を見つけた。


ただならぬ雰囲気があったので中を見ると、カッコ良い部材がたくさんあったので話を聞いたら、「もうここも終わりや、工場閉めるねん」と投げやりに言われた。大企業が提供する既成品ばかりが使われ、誰もオーダーメイドの金物を使わないのか。
さっきのギターのおじさんと違い、外圧に潰されてしまったフラジャイルな可能性もまたたくさんあるという感じがして何とも言えない気持ちになる。

上の写真はその鉄工所付近の風景だが、この郊外住宅地の風景もまた均一化圧や安価主義が作り上げたものじゃないか。その中にもギターのおじさんのように、ひっそりと勝手にやっている人はいる。司馬遼太郎いわく、皆誰でも「微弱なる電流」を持っている。どうすれば、その微弱なる電流を強くすることができるのか。各々の微弱なる電流をアソシエイト、表出させれるような場をつくることが必要である。いやむしろネットなどを通して既にそういう動きはたくさんある。
均一化圧ともいえるような外圧が世界的に高まっている中で、もっと内部からの圧力を高めないとバランスがおかしくなってしまう。