Translate

2013/12/29

続・新国立劇場について

アクロポリスの丘からパナシナイコスタジアムを望む。

2012年11月のコンペで決まったザハ・ハディドによる新国立競技場に関して、建築家の槇文彦氏が「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」というエッセイを書き物議を醸しだしてから、署名活動など大きな運動に発展し、建築界のみならず大きな問題になっている。シンポジウムも行われておりUstreamで見れる。
上の写真は、槇文彦氏が前述のエッセイの中で触れているアテネのパナシナイコスタジアム。少し前に知人の結婚式でギリシャに行くことがあったので見てきた。
僕も別の視点からこのコンペに関して興味を持っていたので、2012年11月21日に以下の文章をFacebookに書いた。


3.11以降、建築家やデザイナーが都市や社会に対して自己(自我ではない)を表現していくことに日本人はとても謙虚になっている感じがする。 僕もそうだ。

新国立競技場のコンペでザハ・ハディッドが勝った。
流線型でオブジェクトとしての側面が非常に強い建築が日本のコンペで勝ったことに対して嫌悪感を感じている人が多いかもしれない。自分も始めはそう思ったが考え続けているうちに見方が変わった。
ザハの案は構造の必然性や都市との繋がりに対しても良く考えられているというのが外観パースからも読み取れる。
そして何よりも、自分がアスリートもしくは試合を見に行く観客だとしたら、やはりザハの案のような高揚感が必要だと思い始めた。
競技場という概念自体がで古代ギリシャのスタディオン、似たものとしては古代ローマのテアトロから来ているのだから、やはりコロッセオに見られるような高揚感を伴った建築、オブジェクトのような側面も必要じゃないか。
日本でいうと城を見たときの高揚感、門をくぐるときの祝祭性のような側面。
某建築家やデザイナーに代表されるように今の日本ではどうもモデストな日本文化にのみ焦点が当てられている嫌いがある。
縄文土器、古墳(仁徳天皇陵は大墳墓として知られているエジプトのピラミッドや秦始皇陵よりもはるかに大きい)、東大寺に見られるような壮大で骨太な計画だって日本独自のものとして1万年も前からあったわけだから、モデストで白くて透明な表現のみを日本的なものとしてフューチャーしている現状には強く疑問を感じる。
今回のコンペの結果は日本人に大きな疑問を投げかけている。
安藤さんからの強いメッセージのようにも感じる。日本人がこういった案を出せなかったことが本当に悔しい。


この考えは今も変わらないが、槇文彦氏の文章を読んでから、いろんな事を考えさせられ、まとまらずモヤモヤしていたが、もう一度この問題について書いてみる。

まず、彼の文章を読んで自分が敷地である神宮外苑に関して全く無知だったことと、前述の文章でも抽象的な内容で終わっていたことを恥じるとともに反省した。
しかし槇文彦氏の意見はザハ・ハディドのデザインの好き嫌いのことを言っているわけではないし、捉え方によっては、彼女のデザインを活かす方向にも繋がる非常に示唆に富んだ意見であると思う。

スタジアム前の広場、丘の中に埋まっているため、唯一のファサード。

観客席
まず競技場の大きさに対する引き、バッファーゾーンの小ささに対する指摘は重要だと思う。シンポジウムでは安全性の問題なども指摘されていたが、スタジアムのような建築の外観をより良く見せるためにも、引きの距離が充分にとってあるのは重要である。僕らがパースで見ているザハ・ハディドのスタジアムの外観は鳥瞰がほとんどで、実際あのパースのような全体像を見るためにはヘリコプターに乗るか、近くの高層ビルから見ないといけないだろう。
芦原義信の「街並みの美学」にも書いてあるが、建物の全体像を見るためには少なくとも建物の高さと同じくらい距離を離れなければならず、イタリアなどの優れた広場はそれ以上の距離をとって大聖堂が見えるようになっている。
前述のパナシナイコスタジアムにしても競技場前に充分な広場があり、それ故に美しい空間ができている。ザハ・ハディドの競技場をより良いものにするためにも何らかの形で、そういった「引き」が必要かもしれない。

一方で、敷地の文化的なコンテキストに関する批判は僕にとって理解するのが難しい。僕がその敷地のことをよく知らないからでもある。しかし、神宮外苑には日本古来のビルディグ・タイプではないスポーツ関係の施設が既にいくつかあり、ザハ・ハディドの競技場のデザインもその延長線上として捉えられるし、前述したように日本文化にはザハ・ハディドのようなデザインを受け入れる間口も伝統的にあると思う。
今は予算の問題もあって競技場を縮小させる案があるが、規模はともかくデザインまでしょぼくなっている印象を平面図から受けた。本当にザハ・ハディド事務所が描いたのだろうか?
バッファーゾーンをとるためなら、競技場周辺の敷地をいじるくらいしても良いプロジェクトだと思う。郊外なら良いという批判もあるが、それこそ縮小していく日本経済の時代において、さらに郊外開発をすることには疑問を感じる。都心こそが新陳代謝していかなければならないのではないか。明治神宮との関連性をあげて、外苑までも歴史的景観保全地区的な扱いにしてしまったら新しい試みは郊外にどんどん出て行って、この場所も廃れていってしまうのではないか。

銀杏並木や絵画館に対して主張しすぎる新国立競技場のデザインに対する批判も分かるが、控えめに謙虚につくることだけが、景観や歴史に敬意を払うことだとは思わない。
そもそも、日本の建築界において「環境に対して敬意を払う、謙虚になる」意味が少しおかしいんじゃないか。アノニマスな白い箱を設計して、謙虚になったつもりなのだろうか。場所によっては、あれほど周りに対して強い表現もないと思う。
場所ごとに先人達から引き継いだものに対する敬意の払い方があって、それに連続性を持たせるためには様々な表現があって、控え目にものを作ることだけではないと思う。

今回の槇文彦氏が巻き起こした議論は話し合いを活発化するという意味において素晴らしいと思う。しかしこれが原因でネガティブな方向に行くのではなく、ポジティブな方向に議論が進むことを願う。

パナシナイコスタジアムからアクノポリス、パルテノン神殿を望む。

あと余談かもしれないが、新国立競技場を経済学的に批判するのならば、グローバル資本主義にまるまる乗っかったような、槇文彦設計で先日オープンしたワールドトレードセンター跡地のビルも含めて議論して欲しい。
僕はこのビルの設計が「歴史的文脈」に敬意を払うことなのかよく分からない。

追記(2014.01.09)
先日、先輩の建築家から興味深い意見を頂いた。
彼はこのコンペにも参加し設計をしていたから分かるが、要項にあるプログラムを収めるだけならバッファーゾーンも充分とれることからも、ザハが意図的にバッファーゾーンを消して敷地境界線を超えてまで建物そのものを巨大化させたと言う。
以下彼の意見を引用。

それは日本に広場の概念がないからだと思う。ヨーロッパの街の中心は教会と広場で、人を溜めるスペースが中心にある。日本の街の中心は駅と商業施設。人を流動させるのが前提。だからザハはこの敷地が日本であることを踏まえて、広場のようなヨーロッパの概念を使わず、敷地と建築が一体化した、建築の中で人を流動させる日本の概念をデザインに反映させたんだと思う。
もともとの彼女の特徴は、ヨーロッパではただのデザインになりかねないけど、日本だと概念と合致する。 

これは僕が今まで聞いたことがないザハ・ハディドの解釈で非常に興味深い。
そうであれば、ザハの競技場をオブジェクト的に(ある種、大聖堂のように)引いて見せるような俯瞰的イメージだけでなく、人々が敷地内を流動しているイメージをもっと見たかった。
一方で、前に充分な引きをとったセセッション風の絵画館やそれに対してシンメトリックな道路、並木道、明治公園あたりも含めて、大正初期から既にあの辺りが都市計画的な意味でもヨーロッパ・スタンダードを採用していて、それに対する現代の解答として問題があるということで槇文彦氏が問題提起をしているという印象を受ける。


2013/12/28

Norwegian & Japanese Timber Construction

Lom Stave Church

屋根材まで松の木、防水防腐のためにタールが塗ってある。


教会内部
ノルウェイにあるロムのスターヴ教会。大自然の中の立地もすごいが、12世紀から続いている教会だけあって外観からもただならぬ雰囲気が漂っている。組積基礎の上に立つ木造建築。
組積造の教会に慣れてたせいもあってか、中に入ると教会というよりも日本の神社仏閣のような雰囲気だった。人工照明も最小限でゴシック教会などに比べると極端に開口部が小さいため暗く異様な雰囲気。
太い丸柱が薄暗い空間に何本も屹立している空間にいると、福島県会津若松市の熊野神社長床を思い出す。

熊野神社長床
双方ともに原始的というか、骨太で男性的な印象を受ける。
調べてみると、建設された時代や経緯も似ている。
熊野神社は平安末期から鎌倉初期にかけて建立されたと推論されているからロム・スターヴ教会と同じくらいの12世紀あたりだろう。
その後、スターヴ教会は1608年から徐々に再建され始め今の形になっているが、熊野神社長床は1611年に会津地震で倒壊し、1614年に再建されているため、今の形に繋がっている再建がなされた時期も同じ頃である。
8000km以上離れた国であるのに、同時代に建てられた宗教建築に似た雰囲気を感じたことが不思議だ。

ロム・スターヴ教会の柱

熊野神社長床の柱
それぞれ、修復され続け今まで残っていることが柱を見れば分かる。見比べてみると、日本の技術の方が洗練されていることが分かる。ノルウェイの民家を見ていても同じ木で似たような構法(軸組、校倉)を使って行っても、随分仕上げの精度が違う。
しかし、その木を最小限にしか加工しないノルウェイの荒々しい組み方がカッコ良かったりする。日本人側から見ると雑な印象を受けなくもないが、向こうからすると日本人は綺麗に仕上げ過ぎて面白くないかもしれない。

ロムにある伝統的木造倉庫

基礎、写真では分かりにくいが石場建てである。
スターヴ教会のすぐ近くにある木造倉庫。これは日本でいうところの高床式校倉構法の倉庫である。
これまた奈良の正倉院に似てるなぁと感じた。このロムの倉庫に関しては時代がよく分からないが、正倉院も同じく倉庫であった。気候はノルウェイのロムの方が断然寒いはずだが、雨や雪が多いから高床式にしてるという点では案外理由は似てるのかもしれない。

正倉院
ノルウェイの倉庫の屋根は断熱性を高める草屋根で随分正倉院とは異なる。
双方ともに石場建である。

Hardanger地方の納屋。19世紀以前は草屋根が主流だったらしいが、以降はスレート屋根が主流になったらしい。これがまた自然の形をそのまま使っていてカッコ良い。
こんなの図面では書けない。現場で手を動かして技を身につけてデザインしながら建てるという感じだろうか。
木組みも雑かもしれないが、鉄製の釘は一切使わず、木釘と継手だけで構成されている。
スレートの腰壁と植物の茎の壁が素晴らしい。

これらノルウェイ(北欧)木造建築に共通する特徴は自然素材の加工が最小限である(日本と比べ随分素朴である)ということだが、それの究極はサーミ人の建築、工作物だろう。

オスロの民族博物館で見たサーミ人の家。ぱっと見は家というよりは巣という感じの佇まい。日本の竪穴住居に近いが、より素朴な印象を受ける。
土と草屋根で北欧の寒さを凌げ、遊牧民である彼らのスタイルにあった、簡単に作れ解体できる住処である。
日本の路上生活者(坂口恭平風)の人もビニールハウスよりもこちらの方が快適なんじゃないかと思った、少なくとも冬は。夏は風が通らず地獄かもしれないが、意外と地面からの一定した冷熱で涼しいかもしれない。特に彼らが多く住んでいる川沿いなど涼しいかもしれない。これなら、まさに0円ハウスじゃないか。僕が見た展示用のサーミ人の家には防水シートが土の裏から少し見えていたが、昔は他の草屋根同様、白樺の皮で防水してたはずだ。それでも日本の豪雨には勝てないかもしれないが。
こういう住処も法的には構造物になるのだろうか?砂山の延長みたいな感じにならないだろうか。

ジャン・ヌーベルの東京グッゲンハイム美術館の元ネタもこういう所にあったりするかもしれない。素材の加工の仕方、使いかたなど藤森照信建築に近いものも感じる。

家の前での集合写真、お爺ちゃん、お婆ちゃん、子供、犬まで全員強そう。
サーミ人の倉庫
ストックホルムのスカンセンで見たサーミ人の倉庫。これも高床式だが、なんと高床の柱が木の幹と根の形そのままで、人の足みたいになっている。その足が石の上に乗っているだけだが、安定している。自然の木の形に着目し、その自然の構造を最小限の加工でうまく利用している。


その横にあった前述同様のサーミ人の家のドアの取手。同じように、木の形をそのまま利用していて、とてもカッコ良い。

Kuksaというサーミ人が作るコップ。白樺の木のコブ、樺瘤から作られる。これもFound ArtならぬFound Design。人が主体となってデザインをするのではなく、自然が既にもっている形に従うだけ。
ミケランジェロが石を見た瞬間、石が成りたい形が分かったというが、その次元よりももっと人間の自我が捨てられた無私の造物じゃないか。

こういった北欧(特に僕はノルウェイに感動した)のデザインという言葉以前のような造物を見た後に、フェーンやアールトを見ると何だか次元が違いすぎる、比べるのもおかしいが。
確かに彼らのデザインも素晴らしいが、前述のものと比べると近代の人間的な傲慢さが重たい。
一見、木を多様しているから近代技術と自然を調和させたデザインなどと言われているけども、僕が見た中ではアールトの夏の家のサウナとゲストハウス(なんと石場建て)、フェーンのヘドマルク博物館の屋根以外、コンクリート構造の化粧としてしか木を使っていない。マイレア邸アールトの自邸然り。その仕上げもかなり加工された木であって、北欧民家に見られる素朴さはなく、モダンでスタイリッシュである意味、日本的な木の使い方なのかなぁという印象を受けた。もちろん、日本にも草庵に見られるような素朴さや、ある種の荒々しさもあるが、同時に洗練されたものも存在し両義的な表現がされていたんじゃないか。
近代化、工業化の最前線にいた偉大な建築家達だから、前述の事は当然のことだとは思うが、いろんな「北欧デザイン」の捉え方があって良いんじゃないか。

2013/12/26

Web City

フェズの旧市街全景
フェズ旧市街内部
モロッコの街を歩いていて、いろんな物事がカオス的だと初めは感じていたけども、だんだんそれだけではないと思うようになった。
カオスといえばカオスなのかもしれないが、各々の要素がウェブ状直接、蜘蛛の巣のように繋がっていて、むしろシンプルなのかもしれないと抽象的に考えだした。
カオスとシンプルは表裏一体なんじゃないかと。
例えば、街の構造にしても全体を統制するような分かりやすい計画、ルール(セットバックなど)はなく、個人個人が隣人と交渉しながら局所的に計画しているような感じがする。局所的な計画であっても、そうやって全体がウェブ状に繋がっているから街全部で一つの生命体となる。どこからどこまでが一つの建物というように分割し難い。明瞭なルールはないが、全体的な方向もしくは流れのようなものは感じる。
そういう意味ではシンプルだとも言える。
詳しくは知らないが、イスラム教のタウヒードの「一に帰す」という多様性を内包した一神教的概念が街のあり方にも表現されているように思う。

西欧社会や日本のような西欧社会に影響を受けた国はツリー状の構造で上からの計画やルールに従えば良いため横の繋がりは薄く、イスラム社会のような局所的な隣人との交渉で計画が生まれにくい。つまり、地域共同体のようなものを形成するのがイスラム社会に比べて困難なのではないか。

マラケシュのスーク 

マラケシュの鍛冶屋街
あと興味深いのはイスラム教ではお金がお金を生むような利子をとることを銀行を含めて禁止しているということ。取引額の差額で利潤を得ることは認めている(だからボッタクルのはありなのか)。ここが資本主義経済と根本的に違う。
スーク(市場)でも多くの店が値段を貼っておらず、定価というものが存在していないようだ。客によって値段が変わる。
これも前述の街の構造と同じで、全体を統制する定価というものがなく、個人個人の局所的な交渉で決まる。工場で大量生産しておらず、多くの店が同じ建物内もしくは近所で一つ一つ生産しており全く同じという商品がないからじゃないか。
定価慣れした西欧人のために値札を張っている店を数軒みたが、どこも工場で大量生産されたような同じ商品を売っている店だったが、西欧人の客がけっこう入っていて安心して買い物をしてるようだった。

こういった昔ながらのスーク商人に対し、ぼったくろうとするなんて野蛮な人たちだと少なからず思っていたが、実は彼らの方が高度な取引をしていて、大量生産し定価で全体統制する取引のほうが幼稚に感じなくもない。
同様に、利子で儲けたり、為替取引のようなシステムの下お金をコンピュータで動かしてお金を儲けるような取引も彼らからしたら幼稚な取引なんじゃないか。

フェズのなめし革作業場
なめし革にしても染にしても、彼らが100%自然物で作っておりコントロールしやすい化学系のものは使ってないという(本当かは知らないが皆口を揃えて言う)のが気になる。

人間は彼の生産において、ただ自然そのものがやるとおりにやることができるだけである。すなわち、ただ素材の形態を変えることができるだけである。それだけではない。この、形をつける労働そのものにおいても、人間はつねに自然力にささえられている。(カール・マルクス、資本論 第一巻、p85)
というマルクスの言葉を思い出す。

何かそこらへんに彼らの(宗教から来るのかは分からないが)倫理観があるように感じる。

フェズ旧市街の鍛冶屋
なめし革作業場の横にある革物屋もそうだが、上の写真の鍛冶屋のように工房と売り場が一体となっている店が多いことも非常に興味深い。
資本主義経済の影響で工場での大量生産型で同じものばかり売っている店も最近は増えてきたみたいだが、こういった工房と売り場が一体となった店では一つとして同じものを置いていない。

鶏屋
上の写真のような鶏屋とでも言えるような所で鶏を買って自分でさばく人も普通にいるみたいだ。
道を歩いていても生きている鶏を担いでいる人を何人も見かけた。
どこかの工場で大量に飼育され加工されたものをスーパーで買っている僕の生活とは全く違う。
こういう所からも彼らの高度な生活能力が垣間見れる。僕らからすればサバイバル能力とでも言えそうなものだ。
あらゆるものが便利になり自分たちの国を先進国だと言っているけれでも、それは資本主義経済側から見た先進でしかすぎないのではないか、一歩外に出れば何もできない。
定価が貼ってなければ安心して買い物もできない、地図、GPSがないと旧市街を歩くこともできず子供に助けられチップを払う(払わされる)。
どこが先進国の人なんだろうか。
モロッコで生活している彼らのほうが先進的ではないかもしれないが高度な生活を送ってるように感じた。

システムのブラックボックス化ということが最近気になる。
普段コンピュータを使っていても感じる。便利なアプリケーションソフトがどのような仕組みでできているのかは全く分からないが、それらを使えば様々なアウトプットができる。
その得体の知れないシステムのお陰で便利な生活ができるし、初歩的な勉強しかしていない学生でも最先端の技術に携われる。しかし間ががっつりブラックボックス化されているため、何か不具合があってももはや手が付けれれない。そのお陰で科学は進歩したのかもしれないけども、ブラックボックス化によるシステムの柔軟性のなさが問題なのではないか。
間を省略しどこかで加工された(ブラックボックス化された)鶏肉を食べている僕よりも鶏を買ってきて自分で捌いている人のほうが、自由度が高い。

2013/12/18

Jamaa el Fna


モロッコ、マラケシュのジャマエルフナ広場。
今まで見てきた広場で最も迫力がある。
大きな中華鍋にいろんな具が一気に入っていて燃え盛っている感じ。
地元民、観光客、音楽隊、蛇使い、大道芸人、料理人や動物らがごちゃ混ぜ状態ではあるが、至る所に群集の輪ができていて、まとまった感じもある。
多極分散型。
あと音楽、リズムが半端ない。ギターのようなモロッコ民族楽器とジャンベの音で老若男女が灯りを囲んで踊っている光景は見てて飽きない。そういう音楽隊の輪だけでも5つくらいはある。
ジャマエルフナ広場にこれらの魅力をもたらせているのは、建築ではなく人だ。
彼らの文化自体が魅力的なんだと思う。








Marrakesh, Morocco

2013/12/06

連続再生

先日久しぶりにベネチアに行ったが、その時初めてアクア・アルタ、街の水位が上がっているのを見た。
この街を歩いていると、人間の行動が自然に制限されているのが面白い。アクア・アルタの時は特に行動が制御されて不便だが、サンマルコ広場を歩かずに泳いでいる鳥がいたりして時間の流れがゆったりしている。

温暖化が原因などとも言われてる(実際関係しているらしい)が、僕はそれよりも石積基礎の下に埋まっている木杭が腐って沈んでいるんじゃないかと思っていた。
しかし、塩野七生の「海の都の物語」によると、他の要因が書いてあり、それが非常に興味深い。
この本によると、ベネチアには9世紀からマジストラーレ・アレ・アクア、水の行政官と言われる行政官が置かれ、土木建築部門の仕事を任されていたらしい。
なぜ土木建築業であるのに水の行政官と呼ばれているかというと、潟の中にあるベネチアにとっては、言うまでもなく建築物が水、潮の満干に影響され、むしろ建築物のほうが自然の変化に従属的だからである。

洪水を避けようとすれば、川の流れと潮の満干の関係を充分に計算して、適当と思う箇所に、櫛の歯のようにたくさんの水路をつくるしかないのである。水の力を相殺させるためにである。
水路は、すでにあったものが適当ならば、それを補強し、方向が悪ければ曲げ、ないところでも必要となれば新しくつくる。曲がっていようと関係ない。要は、水が常に流れていれば、目的は達せるのである。(p38-39)

この仕事を達成できなければ絞首刑にするという公約がベネチア共和国が崩壊するまでは就任式でされていたらしい。
彼女いわく、この重い責任が課せられなくなってから200年も経ないのに、現在のベネチアはしばしば水びたしになる。

建築物の歴史から察するにカナル・グランデ(一番大きな運河)は長い歴史を通じてそこまで大きくは変わっていないはずだが、多くの建物は水の流れを滞らせないために壊されたり形状を変えベネチアにある無数の運河の形を変え続けていた。
そうやって街が新陳代謝を続けていた。
現在でも水の行政官と呼ばれる職はあるが、おそらく、運河はほとんど変わってない。
むしろ、ーイタリアの街はほとんどそうだがー 法律が厳しすぎて変えれない。

歴史あるベネチアの街を守るためにモーゼ・プロジェクトという巨大な可動式防潮堤を作る計画があり2013年6月の時点で75%完成しているらしい。なんと心のない技か。
自然をテクノロジーで制御するという如何にも現代人的な発想ではあるが、それらのテクノロジーがあまり意味がなかったことを今回の災害を経験した日本人なら直感的に感じるんじゃないか。

イタリア人だけではないが、モノが古いというだけで価値をおきすぎ、それらが常に同じ形であり続けてきたと思っているんじゃないか。
日本人がヨーロッパの街を褒めるときにも、保存がしっかりされていることを理由にあげたりするが、僕はそうではなく、「歴史からの連続性」だと思う。
壊れた所は修正しつつも足したり引いたりし常に少しづつ変化し続けているからじゃないか。保存だけしていたら、風通りが悪くなりベネチアのように沈んでしまう。
日本の街のように、歴史からの連続性もあまりなく、常に壊しては新しいものを作り続けているのも同様の意味で良いとは思わない。

ピーター・アイゼンマンはあるインタビューで "Architecture is not about innovation. Architecture is about transformation of precedents. In other words, analyzing precedents and bringing into the present day. "
「建築は刷新することではない。建築は先例の変形だ。言い換えると、先例を分析し現代に持ってくることだ。」と言っている。
正直言って、彼の建築を見ても先例との連続性を読み取ることは難しい(論理的には古典的な建築言語を使って建築設計を行っているようだ。ジョゼッペ・テラーニのカーザ・デル・ファッショを分析した本からも、その意図が読み取れる。)が、この言葉には賛同する。

イタリアでは、保存・修復に関する言葉が厳密に分かれている。(日本でも分かれているが、イタリアで建築に関わる人は日本人よりも意識的に分類して仕事に携わっている印象がある。)
Restauro, Conservazione, Ristrutturazioneの3つがそれにあたる。
日本語に当てはめると、Restauroは「復元」で元の通りに戻すこと、Conservazioneは「保存」で元に戻すわけではないが現状より壊れないようにすること、Ristrutturazioneは「リノベーション」で古いものに新しいものを加え変形させることである。
DVDプレーヤーの操作ボタンに例えると、巻き戻し、一時停止、再生という感じである。
率直に言うと、僕は再生ボタンだけあれば良いと思ってる。
日本の街のように、早送りやスキップをして先例から何の連続的な関係のないものを量産する必要もないと思う。
逆に、ヨーロッパの街では復元や保存が善い行為とされすぎているきらいがある。
歴史建築をいじるときにも図面の至るところに言い訳のように「オリジナルのディテールを使用(もしくは復元)」などと書いたりする。確認申請を早くおろさせるためだ。
役人もこの文章を見たら安心するのだろうか。
繰り返しになるが、僕はヨーロッパの街の良さは連続再生をしてきたからだと思っているが、こんな状況だとこれから何十年、何百年後には沈んでしまうような気もしなくはない。

復元(巻き戻し)、保存(一時停止)、刷新(スキップ)のどれも(おそらく産業革命以降の)現代人の発想じゃないか。それまでは連続再生が普通のことで、急速な技術進歩によって人が自由にコントロールできるようになったからじゃないか。
モーゼ・プロジェクトなんかは、それの最たるもので名前のつけ方からして自我丸出しじゃないか。滑稽ですらある。

Ponte della Costituzione
話はベネチアに戻るが、サンタ・ルチア駅西側に新たにできたカラトラバ設計の新しい橋に最近車椅子用の乗り物ができた。
前々からこの新しいデザインには批判が集中していたが、この乗り物はさらに物議をかもしだしており、確かにベネチアの運河をこの未来的な乗り物が横断している絵は異様であった。
僕の中でも賛否両論あるが、ベネチアで最も多く使われているイストリア産大理石を使っていることからも少なからず連続性が見れるし、現代でしかできないことを付け加えたという点では希望もある。
この橋を否定しつづけている間はベネチアは沈み続けるだろう。