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2013/12/29

続・新国立劇場について

アクロポリスの丘からパナシナイコスタジアムを望む。

2012年11月のコンペで決まったザハ・ハディドによる新国立競技場に関して、建築家の槇文彦氏が「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」というエッセイを書き物議を醸しだしてから、署名活動など大きな運動に発展し、建築界のみならず大きな問題になっている。シンポジウムも行われておりUstreamで見れる。
上の写真は、槇文彦氏が前述のエッセイの中で触れているアテネのパナシナイコスタジアム。少し前に知人の結婚式でギリシャに行くことがあったので見てきた。
僕も別の視点からこのコンペに関して興味を持っていたので、2012年11月21日に以下の文章をFacebookに書いた。


3.11以降、建築家やデザイナーが都市や社会に対して自己(自我ではない)を表現していくことに日本人はとても謙虚になっている感じがする。 僕もそうだ。

新国立競技場のコンペでザハ・ハディッドが勝った。
流線型でオブジェクトとしての側面が非常に強い建築が日本のコンペで勝ったことに対して嫌悪感を感じている人が多いかもしれない。自分も始めはそう思ったが考え続けているうちに見方が変わった。
ザハの案は構造の必然性や都市との繋がりに対しても良く考えられているというのが外観パースからも読み取れる。
そして何よりも、自分がアスリートもしくは試合を見に行く観客だとしたら、やはりザハの案のような高揚感が必要だと思い始めた。
競技場という概念自体がで古代ギリシャのスタディオン、似たものとしては古代ローマのテアトロから来ているのだから、やはりコロッセオに見られるような高揚感を伴った建築、オブジェクトのような側面も必要じゃないか。
日本でいうと城を見たときの高揚感、門をくぐるときの祝祭性のような側面。
某建築家やデザイナーに代表されるように今の日本ではどうもモデストな日本文化にのみ焦点が当てられている嫌いがある。
縄文土器、古墳(仁徳天皇陵は大墳墓として知られているエジプトのピラミッドや秦始皇陵よりもはるかに大きい)、東大寺に見られるような壮大で骨太な計画だって日本独自のものとして1万年も前からあったわけだから、モデストで白くて透明な表現のみを日本的なものとしてフューチャーしている現状には強く疑問を感じる。
今回のコンペの結果は日本人に大きな疑問を投げかけている。
安藤さんからの強いメッセージのようにも感じる。日本人がこういった案を出せなかったことが本当に悔しい。


この考えは今も変わらないが、槇文彦氏の文章を読んでから、いろんな事を考えさせられ、まとまらずモヤモヤしていたが、もう一度この問題について書いてみる。

まず、彼の文章を読んで自分が敷地である神宮外苑に関して全く無知だったことと、前述の文章でも抽象的な内容で終わっていたことを恥じるとともに反省した。
しかし槇文彦氏の意見はザハ・ハディドのデザインの好き嫌いのことを言っているわけではないし、捉え方によっては、彼女のデザインを活かす方向にも繋がる非常に示唆に富んだ意見であると思う。

スタジアム前の広場、丘の中に埋まっているため、唯一のファサード。

観客席
まず競技場の大きさに対する引き、バッファーゾーンの小ささに対する指摘は重要だと思う。シンポジウムでは安全性の問題なども指摘されていたが、スタジアムのような建築の外観をより良く見せるためにも、引きの距離が充分にとってあるのは重要である。僕らがパースで見ているザハ・ハディドのスタジアムの外観は鳥瞰がほとんどで、実際あのパースのような全体像を見るためにはヘリコプターに乗るか、近くの高層ビルから見ないといけないだろう。
芦原義信の「街並みの美学」にも書いてあるが、建物の全体像を見るためには少なくとも建物の高さと同じくらい距離を離れなければならず、イタリアなどの優れた広場はそれ以上の距離をとって大聖堂が見えるようになっている。
前述のパナシナイコスタジアムにしても競技場前に充分な広場があり、それ故に美しい空間ができている。ザハ・ハディドの競技場をより良いものにするためにも何らかの形で、そういった「引き」が必要かもしれない。

一方で、敷地の文化的なコンテキストに関する批判は僕にとって理解するのが難しい。僕がその敷地のことをよく知らないからでもある。しかし、神宮外苑には日本古来のビルディグ・タイプではないスポーツ関係の施設が既にいくつかあり、ザハ・ハディドの競技場のデザインもその延長線上として捉えられるし、前述したように日本文化にはザハ・ハディドのようなデザインを受け入れる間口も伝統的にあると思う。
今は予算の問題もあって競技場を縮小させる案があるが、規模はともかくデザインまでしょぼくなっている印象を平面図から受けた。本当にザハ・ハディド事務所が描いたのだろうか?
バッファーゾーンをとるためなら、競技場周辺の敷地をいじるくらいしても良いプロジェクトだと思う。郊外なら良いという批判もあるが、それこそ縮小していく日本経済の時代において、さらに郊外開発をすることには疑問を感じる。都心こそが新陳代謝していかなければならないのではないか。明治神宮との関連性をあげて、外苑までも歴史的景観保全地区的な扱いにしてしまったら新しい試みは郊外にどんどん出て行って、この場所も廃れていってしまうのではないか。

銀杏並木や絵画館に対して主張しすぎる新国立競技場のデザインに対する批判も分かるが、控えめに謙虚につくることだけが、景観や歴史に敬意を払うことだとは思わない。
そもそも、日本の建築界において「環境に対して敬意を払う、謙虚になる」意味が少しおかしいんじゃないか。アノニマスな白い箱を設計して、謙虚になったつもりなのだろうか。場所によっては、あれほど周りに対して強い表現もないと思う。
場所ごとに先人達から引き継いだものに対する敬意の払い方があって、それに連続性を持たせるためには様々な表現があって、控え目にものを作ることだけではないと思う。

今回の槇文彦氏が巻き起こした議論は話し合いを活発化するという意味において素晴らしいと思う。しかしこれが原因でネガティブな方向に行くのではなく、ポジティブな方向に議論が進むことを願う。

パナシナイコスタジアムからアクノポリス、パルテノン神殿を望む。

あと余談かもしれないが、新国立競技場を経済学的に批判するのならば、グローバル資本主義にまるまる乗っかったような、槇文彦設計で先日オープンしたワールドトレードセンター跡地のビルも含めて議論して欲しい。
僕はこのビルの設計が「歴史的文脈」に敬意を払うことなのかよく分からない。

追記(2014.01.09)
先日、先輩の建築家から興味深い意見を頂いた。
彼はこのコンペにも参加し設計をしていたから分かるが、要項にあるプログラムを収めるだけならバッファーゾーンも充分とれることからも、ザハが意図的にバッファーゾーンを消して敷地境界線を超えてまで建物そのものを巨大化させたと言う。
以下彼の意見を引用。

それは日本に広場の概念がないからだと思う。ヨーロッパの街の中心は教会と広場で、人を溜めるスペースが中心にある。日本の街の中心は駅と商業施設。人を流動させるのが前提。だからザハはこの敷地が日本であることを踏まえて、広場のようなヨーロッパの概念を使わず、敷地と建築が一体化した、建築の中で人を流動させる日本の概念をデザインに反映させたんだと思う。
もともとの彼女の特徴は、ヨーロッパではただのデザインになりかねないけど、日本だと概念と合致する。 

これは僕が今まで聞いたことがないザハ・ハディドの解釈で非常に興味深い。
そうであれば、ザハの競技場をオブジェクト的に(ある種、大聖堂のように)引いて見せるような俯瞰的イメージだけでなく、人々が敷地内を流動しているイメージをもっと見たかった。
一方で、前に充分な引きをとったセセッション風の絵画館やそれに対してシンメトリックな道路、並木道、明治公園あたりも含めて、大正初期から既にあの辺りが都市計画的な意味でもヨーロッパ・スタンダードを採用していて、それに対する現代の解答として問題があるということで槇文彦氏が問題提起をしているという印象を受ける。