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2015/06/30

Imitation Cladding

「質より量」という価値観が蔓延しているように感じることが多々ある。
建材にしても、サイディングやシート貼などのフェイクものが、ここまで普及している国を他に知らない。
メンテナンスフリーで常に新しいフェイクものが、ここまで普及している状況を「価格が安いから」と経済だけでは説明できないようにも感じる。
日本ではエイジングという考え方は価値を持っていないのか(ちょい悪オヤジ、美魔女がもてはやされるのも良いが)。
一定なモノは何も無く常に壊しては作られるという諸行無常的な概念と、ここで言っているフェイク材・メンテナンスフリー・エイジングの話は別である。例えば、伊勢神宮に、フェイク材は使われていない(はずだ)し、そこに価値は置かれていないにしても、エイジングはしている。
これは、被覆に関する問題ではないか。
「どんな材料もそれ固有の造形言語を有するものであり、他の材料の形態をとることはできない。何故ならば、形態とは材料と共に、材料を通して生成するものだ。そしてどんな材料も、自分の形態系に手出しをすることを許さない。だからそれにも拘らず手出しをするような者には、世間から偽物づくりの烙印を押される破目になる。」
被覆の原則について アドルフ・ロース
ロースが言うように、内部構造から生成する被覆ではなく、外部参照された被覆(イミテーション)が蔓延しているのかもしれない。経済的な要因だけではなく、被覆が常に外部から与えられてきたという生産・流通システムも影響しているのではないか。
コルセットのように外から内を規定していくという力を資本主義経済のみならず至るところで感じる。それを逆方向から生成させるにはどうすれば良いか。