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2013/01/17

シンプルと怠惰

先日事務所で、プレゼント用に包装紙を巻いてくれと言われたので、何となくならできるがプロフェッショナルなやり方は知らないと言ったら、同僚のイタリア人にお前はそんなのも知らないのかと言われ、彼女がやって見せてくれた。
彼女は、これくらいイタリアで覚えて帰りなと冗談交じりで言いながら包んで誇らしげに僕に見せたが、僕はできたものを見て愕然とした。誰でもできるような普通の包み方でテープもあちらこちらに張りまくりで汚かったからだ。
僕が言ってたのはそういうのじゃないと、youtubeで日本のデパートの包み方を見せたら、皆びっくりして、綺麗だが日本人は何でこんな複雑なことをやるのかとイタリア人達は言っていた。

そこから、いろいろと考え始めたのだが、おそらくシンプル、簡素に対する感覚が違うんじゃないかと思う。
イタリア料理を考えてもらえば分かるが、イタリアの料理はある意味シンプルで素朴である。
素材の味が濃く豊かであるため余計な味をつける必要がないという。
一方、日本料理の職人さんに聞くと、寿司などシンプルな料理に見えるものでも、仕込みが大変らしい。
建築でも、日本建築の複雑な継手と仕口に比べるとイタリアの建築は組積造にしても木造にしても、装飾こそ複雑なものの単純な造りである。
少し強引かもしれないが、ここまでの例で分かるのは、一般的にイタリアはプロセス、製造過程においてはシンプルに進めるが結果は必ずしも簡素なわけではない。
一方、日本では結果的な簡素さ若しくは日本の美的感覚を求め、プロセスは非常に複雑である。

そもそもシンプルという言葉自体使い古されて何のことなのかよく分からなくなってきていないか?
まず日本のものがシンプルという言葉にすべて当てはまるとは思わないが、松岡正剛がいうように「引き算の文化」であるとは思う。
しかし完成品は引き算されているが、そのおかげでプロセスは複雑になり逆に足し算されていると感じることもよくある。さきほどの料理や建築の例を見てもそうではないか。
例えばアップルの製品なども非常に引き算されたプロダクトだと思うが、製造過程をシンプルにしたらあんな形にはならないはずだ。確か、ipodの裏蓋なんか山形に持って行って職人さんに磨いてもらいてる。

ここまで考えると、VIco Magistrettiがインタビューで語っていた「シンプルさとはこの世で一番複雑なことだ。」という言葉や、原研哉が茂木健一郎との対談で語っていた「シンプルとカオスは同じことを違う方面から見て言ってるだけのように思う。」という言葉が響いてくる。

誤解を恐れずはっきり言うと、例に挙げたイタリアのプロセスにおけるシンプルさは怠惰からくるものであってマジストレッティが言っているシンプルとは違うものだと思う。マジストレッティが言っているシンプルは日本のそれに近いと思う。

あとこれはあまり誰も言っていないが、なぜ無印良品が世界中でこんなに人気があるかについて思うことがあるので記したい。
あそこまで人気があるなら、他の売れてない家庭用品会社など真似すれば良いのにと思うが、(僕の完全な予想だが)プロセスが複雑すぎて誰も真似できない。
デザインがシンプルだとか、素材もそこそこ良いなど他にも理由はたくさんあるだろうが、僕にはそれらの理由はすべて結果的な次元の話に思える。
なぜオンリーワンで未だに売れているかというと、それらの結果的次元の理由を実現するためのプロセスが複雑すぎて簡単には真似できないからじゃないか?
イケアの製造過程で無印のデザインは生まれない。

仕込みのレベルの高さ。これこそ日本が海外に誇れるものじゃないか。
それは射程時間が長いとも言える。場当たり的に動いてない。

一方で場当たり的に動くシンプルなプロセスが作りだす美も存在すると思うので、それについてはまた今度書いてみたい。おそらくキーワードは事故とかになってくるのではないか。