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2015/02/22
2015/02/09
2015/02/08
House on the Philosopher's Walk
哲学の道沿いにあるこの家に祖母が家族と戦中、戦後の数年間住んでいた。
この家は元々ある映画監督が建てたものらしく、中の間取りは変わっていて、隠し階段などいろんなカラクリがあったらしい。
祖母曰く、外観も当時からほとんど変わっていないという。そうだとすれば、70-80年前の京都のこの立地にして相当変わった家だったんじゃないか。
煉瓦塀、石柱門、真壁、瓦、哲学の道側のモダンなファサードなど、様々な要素が散りばめられており、ポリフォニックな様相を呈している。
昨年、祖母が京都を訪れた時にこの家の前を通ったら、ちょうど中の家具、荷物を外に出している最中だったらしい。話を聞いてみると、住まれていた方が高齢で亡くなられたので家を空にしている所で、もしかすると、これから取り壊されることになるかもしれないらしい。
祖母が戦中住んでいたことを話すと中に入れてくれたらしい。中も昔のままで間取りなどもそのままだったと言っていた。
戦中の食糧難の中、皆で配給品を持ち寄りこの家でよく鍋などをしていたらしい。学生が配給された薪をもって風呂に入りに来ていたりもして、いつもいろんな人が居たと言っていた。
祖母の兄の同級生で当時京大生であった祖父もよく来ていたという。
祖母からこの話を聞いていると、当時の貧しくとも活き活きとした映像が頭に浮かんできた。
この家は元々ある映画監督が建てたものらしく、中の間取りは変わっていて、隠し階段などいろんなカラクリがあったらしい。
祖母曰く、外観も当時からほとんど変わっていないという。そうだとすれば、70-80年前の京都のこの立地にして相当変わった家だったんじゃないか。
煉瓦塀、石柱門、真壁、瓦、哲学の道側のモダンなファサードなど、様々な要素が散りばめられており、ポリフォニックな様相を呈している。
昨年、祖母が京都を訪れた時にこの家の前を通ったら、ちょうど中の家具、荷物を外に出している最中だったらしい。話を聞いてみると、住まれていた方が高齢で亡くなられたので家を空にしている所で、もしかすると、これから取り壊されることになるかもしれないらしい。
祖母が戦中住んでいたことを話すと中に入れてくれたらしい。中も昔のままで間取りなどもそのままだったと言っていた。
戦中の食糧難の中、皆で配給品を持ち寄りこの家でよく鍋などをしていたらしい。学生が配給された薪をもって風呂に入りに来ていたりもして、いつもいろんな人が居たと言っていた。
祖母の兄の同級生で当時京大生であった祖父もよく来ていたという。
祖母からこの話を聞いていると、当時の貧しくとも活き活きとした映像が頭に浮かんできた。