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2012/12/05

積読

相変わらず積読そして併読中。
もちろんメリットもある。思わぬところで知識が繋がり強化される。
実は予想して併読してるわけだから、意外ということもないかもしれない。

中沢新一「野生の科学」と柄谷行人「坂口安吾と中上健次」を併読しているが何か似たものを感じる。
それにしても柄谷行人の二人に対する考察、そして彼の感性に感動する。
一つの事象、物語から深く多様な物事を読みとる力には脱帽。
もちろん僕もすべては理解できないが。

野生の科学に書いてある「不思議な環(普通のやり方ではつなぐことのできない階層の事物を、特別な構造をもったループによってつなぎあわせる能力をもっている。)」は笑いにも通じていると思う。
特に松本人志の笑いは三次元を超えた四次元的な「不思議な環」で、どっから発想したのか分からないけど繋がっているから、笑ってしまう。

追伸, 2013.01.28
弟から聞いた話だが、野沢直子が1980年代にダウンタウンと共演した後、世界一のお笑い(外人にも通用する)を求めアメリカに行き5年間試行錯誤したが、一番ウケたのは猿のモノマネだったらしい。
そして日本に帰ってきて松本人志と会ったとき、彼は開口一番「アメリカ人おもんないやろ」と彼女に言ったらしい。
彼女が5年間かけて理解したことを彼は感覚で理解していたことに脱帽したという。
言語、文化が違うので簡単に比較はできないが、「不思議な環」的なお笑いの感覚は日本独特なものなのかもしれない。
論理的、視覚的、言語的に直接繋がっていることが明確に分かる方が西欧文化では受け入れられ易いというのはイタリアに住んでいても実感する。


柄谷が坂口安吾の考察で書いてある「突きはなすかのように存在する現実」という言葉は
「不思議な環」と似た感触がある。
どちらも脳では中々理解できない現象であるが現実として目の前に現れる。
だから笑ったり泣いたり怯えたり、すなわち感動する。

そんなことを考えてたら、「美とは矛盾である」とすら思えてきた。
人間の日常的な脳では中々理解できないから矛盾に思えるが、不思議な環でつながっている。
その矛盾がどうしようもない魅力なんじゃないかと思う。