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2014/12/29

Rihga Royal Hotel Osaka, Lounge by Isoya Yoshida


イタリア製のスーツを着た男がラウンジで煙草を吹かしながらコーヒーを飲んでいる。
そのラウンジの中を川が流れている。
雲のようなシャンデリアが吊られている。
コンクリートの柱に蒔絵が施されている。
グランドピアノが置いてある。
蹲居のような噴水がある。
緑の絨毯が敷いてある。
洋風の家具が置いてある。
日本画と西洋画が飾ってある。
和服を着たウェイトレスが歩いている。

一方、昨今の雑誌では和モダンとかいうものがやたらと特集されている。
その雑誌を熱心に読むイタリアスーツの男。

2014/12/18

Muso Soseki @Saiho-ji Temple

紅葉の時期に西芳寺を訪れた。7年前の梅雨時期に訪れた時に感じた暗くしっとりとした美しい印象とは違って紅葉も綺麗だが、(自分の見方がひねくれてしまったのか)イギリスの風景式庭園のようなロマン主義的な印象もうけた。演出的すぎるようにも思えた。

I visited Saiho-ji temple (Moss temple) in time of autumn leaves. I also visited there in rainy season 7 years ago and the garden was dark moist and beautiful. This time, I got an impression like Romanticism or English landscape garden. I somehow thought that the garden is too theatrical.



7年前の梅雨時期に撮った写真
Photos I took in rainy season 7 years ago


室町時代、西暦1339年に夢窓疎石が再建した西芳寺の庭が荒廃し、自然の力によって原始林のようになり、石組以外の建物は夢窓疎石時代のものでないため、当時の庭を想像するのは難しい。

Saiho-ji temple which Muso Soseki rebuilt In Muromachi Periodo, AC 1339 was ruined and the nature made it something like primeval forest.
It is difficult to imagine how it was since the garden and buildings except rockworks are different from what Muso Soseki made.

元々、方丈があった場所の石垣は竹田城跡を彷彿させるが、竹田城の方が放置されており非演出的な感じがした。

The stone foundation where Hojo was reminds me of Takeda castle, but I thought that Takeda castle was more wild and untheatrical.

方丈跡を左に望む
View to the stone foundation where Hojo was on the left side.


竹田城
Takeda Castle
苔寺という通称の通り、今は全面的に苔に覆われているせいもあり全体として統一感があるように見えるが、調べてみると夢窓疎石は相当に変なことをしているようだ。
まず、元々浄土真宗の寺であった西方寺を西芳寺と改名し臨済宗の寺にしたのだけれど、歩いていると湘南邸の手前に影向石という注連縄がかけられた石があり、このあたりの土地の氏神である松尾明神が影向するとされている。確かに松尾大社が近くにある。
方や、黄金池には如来と菩薩を模したような三尊石と言われている石組もあり、神仏習合的な庭を作っている。

As a popular name "Moss Temple", this garden is covered with moss and has sense of unity because of it, but according to my research, Muso Soseki did something very strange.
At first, he changed the ex-Saiho-ji of Jodo shinshu to Saihoji of Linji school (those are Buddhist sects but different sect) , but at the same time, he also made rockworks of Shinto which has a sacred shrine rope. This stone is called "Yougouishi" and worshiping the God of Matsuo myojin which is local God of this area.
There is also rockworks called "Sanzonseki" which expresses Buddha and Buddhist saint, that is to say, this garden is Shinto syncretistic.

影向石
Yougouishi (rockworks of Shinto)




西芳寺は元々あった西方寺と厭離穢土寺を合わせて夢窓疎石が再建したもので、平坦で池がある庭(西方寺エリア)と山側の枯山水の庭園(厭離穢土寺エリア)に分節されており、山側(厭離穢土寺エリア)の洪隠山(西芳寺の山号)と呼ばれている一帯に石組群があるが、それらの石は、この土地にあったとされる古墳から発掘された石棺を再利用しているらしい。
イタリアでの石の使われ方と同じである。

Muso Soseki rebuilt both ex-Saihoji temple and Enriedo temple, and united them into one garden, but still has two areas, flat area with water (ex-Saihoji) and mountain area without water - rock garden- (Enriedo).
Muso Soseki reused the sarcophaguses which were excavated from ancient tomb of this site in order to make rockworks of the mountain area.
This is exactly same as old Italian way of using stone.

石棺を建材へ転用している大工達
Carpenters converting sarcophaguses to a part of building
Designed by R.Rachini

死者が入っていた石棺が石組に使われていたり、土地の神を祀っている影向石があったり、仏に見立てた石組があったりと、かなりポリフォニック(多声的)な庭の作り方をしている。

In this garden, there are rockworks of sarcophaguses -where the dead were-, rockworks of Buddhism and rockworks of Shinto. I would say that it is very polyphonic.


枯滝石組
Karetakiishigumi
石棺が使われたとも言われている洪隠山一帯に枯滝石組(この石組に実際石棺が使われたかは不明)があるが、私は無知だったため、この石組は(方丈があった場所の石垣のように)上部の建造物がなくなった後に残った階段と基壇として捉えていた。そう見えるくらい石組の上部の空間がぽっかりと空いていて、式年遷宮を待つ伊勢神宮の空地のように見えた。
実際には、滝を表現した枯山水的石組で、私が階段と思った石組も「三段の滝」を表したものとされている。

In the mountain area called "Koinzan" where sarcophaguses are used, there is a rockworks called "Karetakiishigumi" which I though that those were remains of steps and base for the building -the empty space on rockworks made me feel in that way- , but actually is said that rockworks expressing waterfall.

夜泊石
Yodomariishi


庭園の入り口付近に夜泊石と呼ばれている石群が池の中にあるが、一説ではこの上にあったとされる(西来堂と瑠璃殿を繋ぐ)回廊の礎石群とされている。
こちらは、枯滝石組とは違い上部にあった構造物の礎石として見なされているが、その構造物が消失したあとも、夜泊石(夜、海に停泊している舟の姿)と呼ばれ、美しい石組として観賞されているという違いが面白い。トマソンとも言えるかもしれない。
枯滝石組は夢窓疎石が意識的につくったもの(ポジ)とされ、夜泊石は夢窓疎石がつくったものが喪失された後に残ったもの(ネガ)とされている。

Near entry of this garden, there are rocks called "Yodomariishi" in the pond and it is said that these rocks were the foundation of corridor (also bridge).
Now, these rocks are appreciated as beautiful rockworks being called "Yodomariishi" which means boats in night sea, even after they lost the corridor. It is lke "Tomason"

事実がどうであれ、方丈跡の石垣も含め、この庭園には喪失感を誘うような雰囲気が表面上にあり、(演出もあってか)ノスタルジックな気分になってしまいそうになるが、夢窓疎石はこの庭に死者、神、仏を含め様々な(時には矛盾する)物事を想起させるような装置をつくりだしているように思う。それ故、夜泊石、枯滝石組などのように様々な解釈の余地が至る所に残っている。

Apart from the fact, this garden may have an atmosphere of loss and nostalgia superficially, but I think that Muso Soseki made triggers that remind us of diverse things -sometimes those are contradictory- such as the dead, God and Buddha.
That is why this garden is still controversial -such as Yodomariishi, Karetakiishigumi, etc.- and we can interpret them in many ways.

どうやら夢窓疎石という人は風通しが良かった人で、ジャンルなどに拘らず、北条高時や足利尊氏や後醍醐天皇などと仲が良かっただけでなく、河原者とも付き合っていたらしい。
夢窓疎石が死んだ時に葬列にたくさんの河原者が来たので天皇が近づけなかったとう伝承もあるらしい。

It is said that Muso Soseki was a very unfettered person and had relationships with an emperor and powerful families but also beggars.
When he died, the emperor could not go to his funeral since many beggars were there.

参考文献
磯崎新、福田和也(2004)『空間の行間』 筑摩書房
重森千靑(2013)『日本の10大庭園』 祥伝社新書

2014/12/17

Arata Isozaki x Peter Cook, Dialogue @Kyoto Seika University

京都精華大学にて磯崎新とピーター・クックのプレゼンテーション及び対談を聴く。
二人は1968年のミラノ・トリエンナーレ以来、約半世紀にわたる付き合いらしく、対談においても共感しあう場面が多かったように思う。

対談の終盤でお互いの個人的な趣向やイギリスと日本の共通点の話をしていた場面が印象的である。
ピーター・クックが「イギリスも日本も島国で、車は左車線を走り、漫画やアニメのようなSillyなものが好きな部分が共通している。」とおちゃらけた話を切り口に、磯崎新が「イギリスも日本も島国で、歴史的にはローマや中国のような、中心とされていた文化の輸入ばかりしてきて、日本においてはここ2、300年で独自の発展をしてきたにすぎないが、大陸文化のような中心とは違う発展をしてきたという共通点がある。JapanesenessとBritishnessがあるだけだ(日本やイギリス独自の伝統があるのではなく、日本風、イギリス風のものがあるだけという意味だと私は解釈した)。」というような話をした。
そして二人とも、中心(オーソドックスなオーダーをもったもの)に興味がなく(Boringだと言っていた)、エキセントリックであり続けたというような話をしていた。(その後ピーター・クックが半分冗談でオーソドックスなハーバート大学を揶揄していたのが面白かった。)
ピーター・クックが、同じような意味でオーストラリアも辺境で島国だから、いろいろ面白い建築家がたくさんいると言ったのも興味深い。

ピーター・クックが日本のモノにはFundamental Simplicity(根本的簡素さ)があり、余計なものが付いておらず、アイディアがクリアに見えると言い、同じ簡素さでも、良い日本の建築家はそれを美しく達成しているが、悪い日本の建築家はゴミ同然の建築に仕上げているという話をし、何でも収集してしまうイギリス人の心理かもしれないが自分は、足していって、レイヤリングすることが好きだと言っていた(私は日本人にもそういった趣向があるのではないかと思うが)。
それに対する学生の質問で「それでは日本の街はシンプルか?」というものがあり、それに対してピーター・クックが「日本の街はカオスに見えるが実はシンプルな原理でできている、逆にヨーロッパの街は根本的に複雑だから建物の高さを揃えるなどしてシンプルにしているというパラドックスがある。」と答えたのが非常に面白い。これは確かに実感としても納得できるものがある。ある意味、ローマの方が東京よりも歴史的にも宗教的にも複雑で多様かもしれない。

その話に関連づけて磯崎新は、「60年代にカオティックな東京の都市に対してシンプルなシステムを組み立てる仕事をしていたが(今はその手法は日本では使えず中国の中西部で有効じゃないかとも言っていた)、自分達が興味があるエキセントリックさというものは『中心からズレていくこと』で、そういう意味では、カオティックなものがシンプルになるのも、シンプルなものがカオティックになるのも同じことであり、中心を退屈だと感じるのが島国の人だ。』という話もしていた。
非常にエキセントリックな対話だった。

エキセントリック eccentric
ec-(外へ)+centr(中心)+ic = 中心からはみ出た
脱中心的

2014/11/03

Sublime


友人の結婚式に演奏で切腹ピストルズという音楽集団が来ていた。
サイトや彼らの話から察するに、明治維新以降の日本の近代に疑問をもち、江戸から現代のオルタナティブを考察するべく、エレキギターでのパンクバンドから和楽器でのパンク連合に3.11後なったようだ。服も和装を現代的にカスタマイズしているみたいだ。
音も素晴らしくカッコ良かった。僕にとってはパンクである。
エレキギターだと苦情が来たり、警察が取り締まったりするが、和太鼓などの和楽器を使って道路で演奏していても、警察は取り締まらないどころか誘導など彼らのために交通整備すらしてくれる、という話が面白かった。

A music group named Seppuku Pistols came to my friend's wedding.
According to their website and conversation, after the Tohoku earthquake and tsunami, they began doubting about Japanese modern era which started in 1868 (Meiji period). In order to investigate an alternative for the present from Edo period, they started this Punk association with Japanese musical instruments, finishing their ex-punk band with electric guitars. Their Japanese clothes also seems have contemporary customizes.
Their sound was very cool and wonderful. To me, it's punk music.
One of the member told me that the police do not control Seppuku Pistols playing Japanese instruments on the road, rather, the police help them to play, although the police controlled them when they played with electric guitars. This story interests me a lot.



式中、会食をしている時に、友人として来られていたお寺の僧侶さんと話をしていたのだが、その時彼が僕に「そんなに構えなくて良いですよ。」と言ってくれた。自分では全く意識していなかったが言われてみると、袈裟を着た僧侶を前にして、歳は近くても、話し方が堅くなっていたのかもしれない。
和太鼓の音楽や、僧侶など何百年以上続くものに対する崇高の念のようなものを立場や年を超えて無意識的に皆持っているのかもしれない。

During the wedding, I talked to a monk of Buddhism who came as a bride's friend.
He told me that I should not be so polite for him. I did not realize but I might have been serious and formal in front of the monk with Buddhistical clothes.
The things which last more than several hundred years such as music with Japanese instruments and a monk of Buddhism might make us feel sublime  beyond the status and age.

Ceremony in a shrine

結婚式も本当に素晴らしかった。現代、しかも田舎ではなく都市で、街や商店街を上げて皆で祝うような結婚式は今まで見たことも聞いたこともなかった。
二人の日々の活動の成果がこういう所にも現れているんだと思う。

The wedding was also great. I have never ever seen and heard a such wedding which is celebrated by many people of the town. It could happen in country side of Japan though. I think that is also a result of their daily activity.
Anyway, this is not a typical wedding in Japan anymore. Many Japanese couple prefer having the wedding in western style.

神社を出て切腹ピストルズの音とともに街を練り歩く。
Walk in the town with Seppuku Pistols's music after the shrine.
公民館で町内の人が祝いの踊りを披露。
Celebrating dance which I have never seen in the civic center. 
予定にはなかったらしいが、無茶ぶりで急にここでも演奏させられた切腹ピストルズさん
Seppuku Pistols was kind of forced to play also here, which was not in their time table...

雨模様だったため彼らの活動拠点の商店街で宴会、ここで町内会の人が歌とハーモニカで祝福。
Because of bad weather, the party was held in the shopping street where the couple live and work.
Old people from the neighborhood association celebrated them with harmonica, singing old Japanese songs.

3次会のカラオケ店の小便器からの眺め
View from a men's toilet of the Karaoke shop where we did afterparty.


2014/10/31

生真面目


ハロウィーンで大盛り上がりの三ノ宮。吉田五十八は、日本の人も建築も街も西欧に比べて生真面目で堅苦しくてユーモアがなく、こまっちゃけた子供のようだと(おそらく1964年の東京オリンピックより前に)書いていたが、今の日本を見たら何と言うのか。ある意味では変わってないとも考えれるが、イタリアのハロウィーンより狂気じみていて盛り上がっているようにも感じた。
純粋なものが、狂ってゆく
ジェイムズ・クリフォード

2014/10/30

無垢一枚板化粧無


近所の焼鳥屋で飲んでいて家に帰ったとき、吉田五十八の「饒舌抄」に書いてある、ある古老が話す「良い家とは」の以下のくだりを思い出した。
まあかりに私が、新築した家へ、招ばれたとしますか、そして、そのお宅へうかがって、一わたり家を拝見して、ウウ、なるほど、相当の家だが、さりとて、ここがばかにいいといってとりあげるほど、いいところもないかわりに、悪いところもなし・・・と考えながら、そこのあるじさんと、いろいろ話しをしているうち、なにかこう心がだんだんと、あたたまってきて、・・・さて帰る段になると、なんとなく、心がひかれて、去りがたいような気がして・・・家へ帰ってからも、なにかもう一度、あの家へ行ってみたいような・・・
他にも、パリである婦人に聞いた「本当の巴里の粋」についてのこんな話も書いてある。
『かりにあなたが、巴里のブルバールで一人の婦人とすれ違つたとします。その時あなたは馬鹿馬鹿しく綺麗とは思はないが一寸好ましいなりをしてゐると思って、通りすぎて又もう一度見ようとふり返って見る。そして家に帰つてきても、あのなりはよかつたなあと思ふ。これが本当の流行の極致で巴里の粋人なのです。』と。(中略)
私は、新築した家に行つてこれは立派だとは思ふが自分が住む気にはなれない。しかしこんな家に住んでみたいと思ふ家がある。私はこの方が本当の建築だと思ふ。女でもさうだ。あの人は綺麗だなと思ふ。しかし綺麗さだけでは親しめない。あまり綺麗ではないが、何となく親しみを感じてこの人となら一緒に居てもいいと思ふのと似てはゐないか。
二つの話共、家に帰った後じわじわと良さを感じると言っているのが面白い。
そして吉田は、他人に見せようとして目立ったものより、自分がつつましく満足しているが何か物足りないものが良いという。 設備家の友達が「本当に居心地の良い環境とは何も感じないことじゃないか」と言っていたが、それと似ているかもしれない。暑くもなく寒くもない。
写真のカウンターは無垢一枚板の檜で化粧も無く目立ちはしないはが、やけに肌にしっくりくる。これみよがしなものは何もなく、また行きたくなる店。

2014/10/26

Abjects @The Bee's Knees Lowbrow Rock and Roll Art Bar

元町高架下三番街、通称モトコー3にあるThe Bee's Kneesでロンドン在住の友達のバンドAbjectsのライブ。家の二階の一角のような、高架下の親密な空間でのライブ、場もすごいがバンドもすごくカッコ良かった。