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2015/11/12

Surreal Landscape #2

以前「Surreal Landscape」で書いた民家が骨だけになっていた。
これからどうなるのか分からないが、これはこれでペリの国立国際美術館と照応しているようにも見えて面白い。

2015/06/30

Imitation Cladding

「質より量」という価値観が蔓延しているように感じることが多々ある。
建材にしても、サイディングやシート貼などのフェイクものが、ここまで普及している国を他に知らない。
メンテナンスフリーで常に新しいフェイクものが、ここまで普及している状況を「価格が安いから」と経済だけでは説明できないようにも感じる。
日本ではエイジングという考え方は価値を持っていないのか(ちょい悪オヤジ、美魔女がもてはやされるのも良いが)。
一定なモノは何も無く常に壊しては作られるという諸行無常的な概念と、ここで言っているフェイク材・メンテナンスフリー・エイジングの話は別である。例えば、伊勢神宮に、フェイク材は使われていない(はずだ)し、そこに価値は置かれていないにしても、エイジングはしている。
これは、被覆に関する問題ではないか。
「どんな材料もそれ固有の造形言語を有するものであり、他の材料の形態をとることはできない。何故ならば、形態とは材料と共に、材料を通して生成するものだ。そしてどんな材料も、自分の形態系に手出しをすることを許さない。だからそれにも拘らず手出しをするような者には、世間から偽物づくりの烙印を押される破目になる。」
被覆の原則について アドルフ・ロース
ロースが言うように、内部構造から生成する被覆ではなく、外部参照された被覆(イミテーション)が蔓延しているのかもしれない。経済的な要因だけではなく、被覆が常に外部から与えられてきたという生産・流通システムも影響しているのではないか。
コルセットのように外から内を規定していくという力を資本主義経済のみならず至るところで感じる。それを逆方向から生成させるにはどうすれば良いか。

2015/03/25

Venetian Curtain

サン・マルコ広場に面した回廊のカーテンから入ってくる光が何とも言えない魅力を回廊に加えている。なぜ、回廊と広場の間にカーテンを付けたのだろうか。
イタリア人にとって広場は大きなリビングルームだと聞くことがあるが、そうすると内外が反転して、カーテンの奥に大きなリビングルームがあるのだろうか。

2015/02/08

House on the Philosopher's Walk

哲学の道沿いにあるこの家に祖母が家族と戦中、戦後の数年間住んでいた。
この家は元々ある映画監督が建てたものらしく、中の間取りは変わっていて、隠し階段などいろんなカラクリがあったらしい。
祖母曰く、外観も当時からほとんど変わっていないという。そうだとすれば、70-80年前の京都のこの立地にして相当変わった家だったんじゃないか。

煉瓦塀、石柱門、真壁、瓦、哲学の道側のモダンなファサードなど、様々な要素が散りばめられており、ポリフォニックな様相を呈している。

昨年、祖母が京都を訪れた時にこの家の前を通ったら、ちょうど中の家具、荷物を外に出している最中だったらしい。話を聞いてみると、住まれていた方が高齢で亡くなられたので家を空にしている所で、もしかすると、これから取り壊されることになるかもしれないらしい。
祖母が戦中住んでいたことを話すと中に入れてくれたらしい。中も昔のままで間取りなどもそのままだったと言っていた。

戦中の食糧難の中、皆で配給品を持ち寄りこの家でよく鍋などをしていたらしい。学生が配給された薪をもって風呂に入りに来ていたりもして、いつもいろんな人が居たと言っていた。
祖母の兄の同級生で当時京大生であった祖父もよく来ていたという。
祖母からこの話を聞いていると、当時の貧しくとも活き活きとした映像が頭に浮かんできた。

2015/02/06

Togo Murano @Umeda


言葉で表現できないカタチと微妙な加減のライディング。

2015/02/05

Surreal Landscape


国立国際美術館と民家。
開館当初の写真を見ると、もう何軒か川沿いにあったみたいだ。
最後の一軒。
シュールな風景にも思えた。

2015/01/29

Corniglia

いつから「住む所は静かな住宅街」みたいな通説ができたのか。
確かに日本の繁華街で7階までスナックやバーが入っていて朝まで賑わっているような所に住むのは辛いかもしれないが、夜中に一階に降りても店も何もなく静かな場所は逆に怖い気もする。フランス人写真家のダカタは(ヨーロッパにもある)郊外住宅地のことを強制収容所と呼ぶ。
上の写真はイタリアの田舎(Corniglia)なので比較にはならないが、今でもニュー・シネマ・パラダイスのワンシーンのような場面があるのは、彼らのライフスタイルから来るものかもしれないが、まず、街中で人が生活しているという違いもある。
イタリアの都市部でも一階が店で上階には人が住んでいて、そのため深夜を過ぎて騒いでいると上から怒鳴られたりするが、その後朝まで遊ぶためには郊外のクラブに行ったりする。日本の街だと朝までやっているクラブ、繁華街は街のど真ん中にあり、前述の話とは反転している。それはそれで悪くないのかもしれないが、いつからきっぱり分けてしまったのか。
どうやら日本のゾーニング制度(住居地域、商業地域、工業地域を分ける)は大正初期に欧米(特にドイツ)から輸入したものらしい(ヨーロッパといっても北ヨーロッパ的な考え方のようにも思う)。
「街が魅力的なのは建築のおかげではなく人々の生活が魅力的だからだ」という先生の言葉を先日書いたが、同時に、前述のような街の構造がライフスタイルに影響を与えているようにも感じることがある。先日書いたHAT神戸の事例然り。

ちなみに私が住んでる神戸の南京町は他人から「騒がしくて住めないでしょ」などと言われるが、21時くらいには静かで逆に深夜くらいまでもっと人が居ても良いと思うくらいだ。

2015/01/28

河よりも長くゆるやかに

Accident


大阪神戸間で人身事故があり新快速に乗っていたが最寄駅の西宮で停まった。新快速だから普段停まらない駅に停まってもドアを開けないという融通のきかなさ。
30分ほど停まっていたら流石に皆のフラストレーションも高まり苦情が増えたのか、通過列車側のホームのロープを外しドアを開けてくれた。
普段降りない駅周辺をフラつき呑んだ。素晴らしい店とマスターに出会った。
計画通りに行かず計画から外れることの楽しさを改めて実感した。

2015/01/27

HAT Kobe


神戸は海沿いの街だが、中央区の海沿いは港か工業地帯か倉庫で生活と海が近い所はほとんどないような気がする。HAT神戸も瀬戸内海との間を高速道路で分断されてはいるが、海沿いにイタリアのLungomare(海に沿った、という意味だが海沿いの道のことを指す)のような遊歩道があり活気が全然違うが悪くない。

バーリのLungomare、夏は夜中まで高齢者や子供が団欒している。

2015/01/24

Venice Everywhere



ベネチアのイメージは多様で、世界中にどこどこのベニスと呼ばれてる地区、街があるっていうのもすごい。
このパチンコ屋も一つの解釈である。


2015/01/20

Asian Alley

ある先生が、街が魅力的なのは建築のお陰ではなく 人々の生活が魅力的だからだと言っていたのを昔旅したアジアの路地の写真を見ていて思い出した。
建築家が思い上がるなと言いたかったのだろう。

One of my teachers told me that a city is attractive not because of architecture but people's life. The pictures of alley I took in Asian countries reminds me of his speech.
I suppose that he wanted to tell architects not to be conceited.




Bangkok



Shanghai














Zhouzhuang