いつから「住む所は静かな住宅街」みたいな通説ができたのか。
確かに日本の繁華街で7階までスナックやバーが入っていて朝まで賑わっているような所に住むのは辛いかもしれないが、夜中に一階に降りても店も何もなく静かな場所は逆に怖い気もする。フランス人写真家のダカタは(ヨーロッパにもある)郊外住宅地のことを強制収容所と呼ぶ。
上の写真はイタリアの田舎(Corniglia)なので比較にはならないが、今でもニュー・シネマ・パラダイスのワンシーンのような場面があるのは、彼らのライフスタイルから来るものかもしれないが、まず、街中で人が生活しているという違いもある。
イタリアの都市部でも一階が店で上階には人が住んでいて、そのため深夜を過ぎて騒いでいると上から怒鳴られたりするが、その後朝まで遊ぶためには郊外のクラブに行ったりする。日本の街だと朝までやっているクラブ、繁華街は街のど真ん中にあり、前述の話とは反転している。それはそれで悪くないのかもしれないが、いつからきっぱり分けてしまったのか。
どうやら日本のゾーニング制度(住居地域、商業地域、工業地域を分ける)は大正初期に欧米(特にドイツ)から輸入したものらしい(ヨーロッパといっても北ヨーロッパ的な考え方のようにも思う)。
「街が魅力的なのは建築のおかげではなく人々の生活が魅力的だからだ」という先生の言葉を先日書いたが、同時に、前述のような街の構造がライフスタイルに影響を与えているようにも感じることがある。先日書いたHAT神戸の事例然り。
ちなみに私が住んでる神戸の南京町は他人から「騒がしくて住めないでしょ」などと言われるが、21時くらいには静かで逆に深夜くらいまでもっと人が居ても良いと思うくらいだ。