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2014/03/21

Milan Street


Down Jackets: Kokiku x Yumiko Uchishiba

Loos

1908年竣工、アドルフ・ロースのアメリカン・バー。昼間なのに深夜のような空気が流れ、闇を感じさせる空間。写真でしか見たことがないが白井晟一の住宅内装に似たものを感じた。100年以上前にできたとは思えない。素材はもちろんのこと金物まできちんと設計されている。

1911年竣工のロースハウス、一つの様式にまとめる調和的なものより矛盾を好んでいたらしい。この作品をみると彼が単純に装飾を排除することを良しと考えていたのではないということが分かる。常に内部空間の使われ方との対応を考えていたらしい。その場に相応しいものならばオーダーの柱でもコーニスでも使う。要するに彼の場合装飾は後から付けるものではなく構造的装飾になっているのだと思う。


シュタイナー邸、1910年
ショイ邸、1912年



スキューヴァ=プリマヴェーシ邸 / ヨーゼフ・ホフマン、1915年

ベックガッセの住宅 / ヨーゼフ・プレチュニク、1901年
ロースの住宅に関してはほとんど装飾がない。近所にある同時代の建築家の住宅と比べると極端に装飾がない。装飾がないことよりも、屋根・居住部・基壇という古典的な構成がなく、何か物足りなさを感じなくもない。そういう意味ではコルビュジェやミースの方が古典的ではないだろうか。


中央貯蓄銀行マリアヒルフ・ノイバウ、1914年
当時は銀行のための空間として設計され重厚でエントランスなどある種古典的な設計だが、現在ではTシャツ一枚10ユーロで売っているようなレディースの服屋になっていて、そのギャップが面白かった。

ウィトゲンシュタイン邸、1928年


1928年竣工でウィトゲンシュタインがロースの弟子と設計した姉のための住宅。ロースの住宅は個人所有のため内部を見ることができなかったが、この住宅にもロースのラウムプランが受け継がれているように思う。雁行する平面と同階でも床レベルが変わり天井高も違う構成など、非常に流動性の高い空間である。


アドルフ・ロースが絶賛していたシュテファン大聖堂の内部空間。ロマネスクの教会をゴシックに増改築したためかゴシック建築としては天井高も低く落ち着いた雰囲気を持っている。

2014/03/15

Notes on Wien

公的、私的空間の錯綜
中庭、私有地の公共化
カフェの私有化






2014/03/13

Urbino

街、建物の雰囲気に比べて入っている店がどこにでもあるようなもので面白くないように感じた。昔から住んでいるバー店員いわく、市が数年前にウルビーノにおける飲食店のライセンスを自由にした結果、お金が稼げない職人達がほとんど出て行ってしまったらしい。そのせいで、昔は3つしかなかったバーが20店以上になり、どこにでもあるような店が急激に増えたらしい。行政の商業的な政策が裏目に出ているんじゃないか。
その土地の素材と技術をもつ職人の店の方がよっぽど観光客には魅力的だと思う。

大学が多いこともあり、若者が多い。僕には良いことにも感じたが、バー店員いわく、彼らが街中で酒を飲んで騒いでいるおかげで年寄りも寄り付かなくなったという。ウルビーノ大学の有名だったらしい学長が亡くなってから大学の質も下がりつつあると言っていた。ウルビーノの建築、芸術作品は素晴らしいのだけど、なんともネガティブな話ばかりだった。
街の魅力をつくっているのは建築だけではなく、そこに暮らす人だと思うが市の政策でここまで変わってしまうのか。
ウルビーノがアンコーナに吸収されたことも彼は案じていた。


2014/03/03

Customized City




アムステルダムの街を歩いていると、他の都市に比べ個人商店や個人事務所が多く、活き活きしているように感じた。京都のように間口の広さに応じて税金がかけられていたから間口の狭い建物が生まれたらしいが、それにしても都市においてこれだけ各々の建物が個性をもって小さな単位に分かれているのは珍しいように思う。
大枠のコード(材料、構法、間口、高さ)は大体似ているが、どれも個性的にカスタマイズされているという印象。それ故、無法地帯という感じはしない。自転車やボートハウスを見ても同じ印象を受けた。

皆同じようなフレームの自転車だが、カゴは各々カスタマイズしている。
細かいことまで指定せず、大枠だけ与えてあとは個人に任せるといったような空気を感じた。ナチス時代の思想統制への反動でこうなったという話も聞いたことがあるが、元々都市や人々がそいういう志向を持っていたのではないだろうか。


旧教会の横に売春街があるというのもすごい。


昼間歩いたときは閑静な住宅地ぐらいに思っていた地区が夜になると歓楽街に変身する。
北山修いわく、日本では昔「心」と書いて「うら」と読んでいたらしく、その心を吐き出せる裏道、裏路地がたくさんあったらしいが、現在は全てを明るく照らして表も裏もなくしていこうという傾向にあるという。精神的にも物理的にも言えることだと思う。
ヨーロッパの街でアムステルダムのように「うら」が都市構造に組み込まれているのは珍しい。
おそらくイタリアのように善悪がはっきりしている街では、「うら」は排除対象になり構造の中に組み込まれることは難しいだろう。
一昔前の日本には変なおじさんが街に何人かいたが、最近見たくなったとある先生が言っていたが、これも同じ話だと思う。