Translate

2014/03/03

Customized City




アムステルダムの街を歩いていると、他の都市に比べ個人商店や個人事務所が多く、活き活きしているように感じた。京都のように間口の広さに応じて税金がかけられていたから間口の狭い建物が生まれたらしいが、それにしても都市においてこれだけ各々の建物が個性をもって小さな単位に分かれているのは珍しいように思う。
大枠のコード(材料、構法、間口、高さ)は大体似ているが、どれも個性的にカスタマイズされているという印象。それ故、無法地帯という感じはしない。自転車やボートハウスを見ても同じ印象を受けた。

皆同じようなフレームの自転車だが、カゴは各々カスタマイズしている。
細かいことまで指定せず、大枠だけ与えてあとは個人に任せるといったような空気を感じた。ナチス時代の思想統制への反動でこうなったという話も聞いたことがあるが、元々都市や人々がそいういう志向を持っていたのではないだろうか。


旧教会の横に売春街があるというのもすごい。


昼間歩いたときは閑静な住宅地ぐらいに思っていた地区が夜になると歓楽街に変身する。
北山修いわく、日本では昔「心」と書いて「うら」と読んでいたらしく、その心を吐き出せる裏道、裏路地がたくさんあったらしいが、現在は全てを明るく照らして表も裏もなくしていこうという傾向にあるという。精神的にも物理的にも言えることだと思う。
ヨーロッパの街でアムステルダムのように「うら」が都市構造に組み込まれているのは珍しい。
おそらくイタリアのように善悪がはっきりしている街では、「うら」は排除対象になり構造の中に組み込まれることは難しいだろう。
一昔前の日本には変なおじさんが街に何人かいたが、最近見たくなったとある先生が言っていたが、これも同じ話だと思う。