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2022/03/08

Nara











奈良に二月堂のお松明を見に行った。 お松明が始まる直前に、それまで安全のため点いていた照明が一気に消えた時の暗さや静けさが、状況は全然違うがオペラが始まる時のようで胸が高鳴った。そこからの美しさは言うまでもない。視覚だけではなく、音や臭いにも圧倒された。

この行は二月堂の本尊、十一面観音に日頃の過ちを懺悔する意味があるそうだが、同じ日に奈良国立博物館で聖林寺十一面観音を見た。和辻哲郎の古寺巡礼でも言及されている有名な観音像でやっと見ることができた。


お水取りが始まった頃と同じ天平時代760年代につくられたそうで、他に比較するその頃の日本の彫像を知らないが、ギリシャ彫刻のようなプロポーションの美しさを感じた。
空気を纏った衣の表現はナポリで見たCristo velatoを彷彿させる。
全てを見透かすような眼差しとは対極的な頭の上に乗っている十一の仏面は各々が喜怒哀楽を素直に出した表情をしており、当時の激しい世情を想像させられるが、今とあまり変わってないのかもしれないと思った。






















内藤廣さん設計の鹿猿狐ビルヂングも見学した。表通りから建物内に路地をつくり、その路地を通ると敷地内の裏庭に繋がり、その裏庭が結節点となり旧館の中庭に繋がっているという動線が素晴らしかった。
























内部空間は奇をてらわない構造を素直に表した空間だと感じた。軒天の木が余分に感じるくらい割り切った仕上の考え方で建築が背景に徹している印象を受けた。





























高さ関係に関しては1階が天井高2800程、2階が3100程というのは、内部用途的にも周囲のコンテクスト的にも少し高いように感じた。道路斜線ギリギリを狙っているように見えるが、そこは少し疑問が残った。
実はこの建物にアプローチする際に旧館側から入ったのだけど、その時に感じた天井の低い空間の親密性や置かれている商品との距離が、新館では天井の高さとガラスの抜けによって拡散しているように感じた。それは対照的で面白い部分でもあると思う。
現状、この1,2階の高さの設定によって3階の若草山への眺望や抜けが確保されている。この建築がこれからこの街をつくる一つのモデルになるのであれば、向かいにも同じボリュームの建築が建ち、その眺望は無くなるがそれでも良いのかもしれない。いつまでも2階建ての町家が残っていることだけが京都や奈良の価値ではないと思う。