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2022/06/05

COCCAという共創する界隈

依頼を受けて兵庫建築士事務所協会の会誌「くすのき」 148号のために書いた文章です。


 昨年11月のパネルディスカッション「設計事務所のアタラシイカタチ2020」にてCOCCA(コッカ)について、建築プロジェクトを中心に話をしましたが、今回は建築プロジェクト以外のCOCCAの活動を中心に、地域との関わりを紹介させて頂きます。

1. 界隈としてのCOCCA

 COCCAは、組織名やグループ名のような”人間の集団”ではなく、プラットフォームとして考えており、そこに様々な人が出入りしながら共創しているという説明をパネルディスカッションでしましたが、この一年でCOCCAの捉え方が少しずつ変わってきました。
 現在は、当時否定していた”人間の集団”に戻りつつあります。戻ったというのは、結成当初COCCAは、主に東京、大阪、兵庫、広島にいる仲間と一緒につくった”人間の集団”だったからです。 ただし、今考えている”人間の集団”は、通常の組織よりも常に形や関係が変わる流動的な集団として考えており、その様を表現する言葉として”界隈”という言葉が相応しいのではないかと考えています。界隈とは物理的に限定された地区のことではなく、人が集まることで、その時その場に生まれる一時的な領域と考えています。その境界は曖昧で、個々人によって捉え方も様々なので、皆が同じイメージをもっているとは限りません。
 COCCA(コッカ)という名前は括弧(カッコ)からきています。そのカッコを、人間、空間、時間を区切る境界として捉え、それらを開いて繋げる”共創する界隈”がCOCCAだと考えています。
(括弧という境界が連続して繋がっていき、「カッコ カッコ カッコ カッコ」と言っていると「コッカ」に聞えます。)
 COCCAはプロジェクトにおける対象(object)のカッコを開いて繋げるだけでなく、COCCA自体(subject)のカッコが開いて繋がったり離れたりしているのです。
 繰り返しになりますが、COCCAは特定の人が常に所属するグループではなく、時と場合によって、関わる人が様々に変わります。そこでは世代や職種、国籍のカッコは無く、1つの界隈となり共創しています。
 今書いているこの文章も、クラウド上で複数人が同時に編集できるドキュメント作成ツールを使い共創しながら書いたもので、同時に編集や提案がされており、最終的には、どこを誰が書いたものなのか分からなくなるくらい混然一体となっています。
 

 2. COCCA Ninomiya

-物理的境界が開き生まれる界隈-

 2018年に、神戸で活動しているメンバーで二宮にシェアオフィスをつくりました。1階は普段打合せスペースやイベントスペースとして活用し、2,3階はシェアオフィスとして使っています。コロナ禍では不特定多数の人が集まるイベントスペースとしての活用は難しくなりましたが、昔子どもが遊んでいた路地のように日常的に使える場にしようと、本やCD、レコード等のメディアを置いて、開放する試みをしています。
 ある時は普段2,3階で行うデスクワークを1階で行いました。道路レベルにある3枚引き戸をオープンにし、内と外との境界線を無くして仕事をしたので1階の内部空間が外の路地の拡張スペースのようになりました。そうすると通行人から内部空間が認知され、普段は黙々と図面を書き、会話もプロジェクトの話が多かったのですが、近隣の人がふらっと雑談をしに来て、その中で仕事の依頼を受けることもありました。建物の物理的な境界を開き、近隣の人とコミュニケーションを取ったことにより思いもよらない所からプロジェクトが生まれました。

COCCA Ninomiya 1階の建具を開放した時の様子

COCCA f

 COCCAではプロジェクトベースで、ある目的のために、その時々のチームができるだけではなく、無目的(遊ぶ感覚)に集まれるような機会も設けています。それは面白い(複数の価値を持つ)プロジェクトが生まれていくための土壌づくりでもあります。毎月COCCA Ninomiya1階で行っているCOCCA f(fermentation 発酵、function 関数のf)という討論会では毎回学生や社会人がプレゼンターとして一人発表し、その人が投げかけた問いを参加者全員で討論しながら発酵させています。質問に答えを出すことが目的ではなく、対話しながら考えるというプロセスに意味があると考えています。
 毎回発表されるジャンルもバラバラで新しい参加者もいるため思わぬ出会いがあり、そこから共創界隈が拡がっているのではないかと思います。

COCCAfの様子


3. 多世代多業種型プロジェクト

COCCA Lab.

 また、COCCA Lab.という研究会も行っており、日常の学校の課題や会社の業務とは違う、基礎研究的なテーマを各々が持ち寄り、それをクラウド上で論文のようなものを書いています。その論文に他の参加メンバーが質問を投げたり、情報を付加したりしています。つまり皆がコメントを付けたり編集したりできるCOCCA的な共創研究です。
毎月、オフラインでも発表会を行い、直接意見のやり取りもしています。今は大人のみですが、将来は小学生等のより若い世代も入ってきて、世代を超えた共創研究をしたいと考えています。

COCCA Lab. 発表会の様子

混沌玩具

 多世代多業種で行っているプロジェクトの一つに混沌玩具(konton-gangu.com)というものがあります。「ふたしかなものと遊ぶ」をコンセプトに、子どもから大人までが一緒に、不確かな要素が入った玩具で遊ぶことを促すものです。
 この開発には、2歳児から60代後半の人までが関わっており、職種もプロダクトデザイナー、機械エンジニア、クリエイティブディレクターと様々です。製作過程において、いろいろな人に実験的に使って頂くのはもちろんですが、本プロジェクトにおいては構想から製作、製作後までも、いろいろな世代や職種の人たちと共創していきます。その製作プロセス自体が混沌玩具なのです。

混沌玩具会議の様子


Tonariノhero

このブランドは「世の中には当たり前に世の中を支えている人やモノがある」という点に着目し、「You’re my hero」というコンセプトでCOCCAメンバーのプロダクトデザイナーと立ち上げました。
異業種とコラボレーションすることにより、当たり前の感覚への違和感や新たな発見が生まれます。その中で議論を重ね商品を開発しています。
販売はCOCCANinomiyaの1階でポップアップショップを開いています。
多様な人に触れてもらうため、他のブランドと共同で販売を行ったり、知り合いの飲食店に出店してもらうことで、様々な人々に周知してもらうことができて、界隈が拡がりました。認知されていくにつれ出店希望者も増え、各々の出店者の界隈が連鎖していきます。

ポップアップショップの様子


4. COCCAという共創界隈の拡張

CBS Bubble

 バーの経営者からの依頼で、コロナ渦で客足が遠のくなか、他事業であるランドリーを掛け合わせた新しいお店をつくるというプロジェクトです。 
 左官職人や建築士、大工など、普段COCCAという界隈に関わりを持っていない人とチームを組むことで、共創界隈の拡張を考えています。関わったすべての人が「自分がやった」といえるような空間づくりをしています。
 そうすることで空間により愛着が沸き、その空間に関わった人が知人を招きたくなり、お店にとっても顧客ネットワークが増えることに繋がります。COCCAが連鎖し、縦割りの仕事ではなく垣根を超えた仕事になりました。

チームで施工している様子


汀(みぎわ)

 COCCAメンバーの一人であるクリエイティブディレクターの濱部玲美さんが2021年11月に北野坂沿いの1階に汀(snack-migiwa.com)という店をオープンしました。アートと食を軸にし、子どもから大人まで混ざり合って楽しめる風変わりな場所です。
 設計者としてハード面に関わりましたが、そこで行われるアートイベント等のソフトにも運営者、参加者として携わっています。また界隈で知り合ったアーティストが、ここでアート教室をします。

汀レセプションパーティの様子

IMAYAMA

 COCCAメンバーの一人である建築家の今津修平さんが神戸市北区に里づくり拠点IMAYAMAをつくりました。
 次の世代に荒れた広大な山林や田畑を残すのではなく、子どもたちと一緒に考え計画し土地を整備していくことで、そこが彼らのフィールドになっていくことを目指しています。
 そこではワークショップ的にフィールドづくりを行っており、子どもから大人まで多種多様な人が集まります。料理人が昼食の準備をする傍ら、大工や庭師が井戸を整備したり、子どもと達に道具の使い方を教えながら、山を整備しています。そこでは、仕事として山を整備しているのではなく、自主的に遊びながらフィールドづくりに関わっているような状況が生まれています。

IMAYAMAの活動風景

COCCAの連鎖

 ひとりの人間が作っていくトップダウン型の組織や社会ではなく、界隈が共創しながら変容するボトムアップ型の組織や社会を形成していくことが、公益に繋がる多様性のある地域づくりになると考えます。 
 どのプロジェクトでも共通しているのは、世代や業種、立場を超えて人々が繋がるということです。個人がもっている思考や技術が、年齢の上下を問わず連鎖し継承されています。
 伊勢神宮は20年に一度、式年遷宮が行われることにより、伝統技術を千年以上も途切れさせず継承し、素材は変わっても存在を永らえています。それと同じように界隈や地域を一つの生命体として考えた時、COCCAにおいて個人の思考や技術が連鎖し継承されていくことが、持続可能な組織や社会を形成していく一つの手段ではないかと考えています。


2022/05/25

TSUGITE ASOBI 継手あそび



ダンボールを構造として空間をつくって遊べるような継手の実験をしています。継手内部を特殊なカタチにすることでダンボールどうしが止まるようなものを3Dプリンターでつくっています。子どもから大人までが、これを使って一緒に遊ぶワークショップを6/4の14時から17時までCOCCA Ninomiyaでやっています。誰でも参加できますので、是非遊びに来てください。




2022/04/27

空き家の活用から地域をつくる

Y’s house 権現町 / 大和船舶土地株式会社










https://www.city.kobe.lg.jp/a01110/kurashi/sumai/20220415sinpojiumu.html

 神戸市建築住宅局主催の空き家活用シンポジウムでコーディネーターをするという機会より考えたことを記す。

2つのフック

 このシンポジウムの内容を関係者たちと議論していく中で以下2つのことを今回のフックとすることになった。
①敷地境界を越えて地域にどのような影響を及ぼすか。
②空き家活用に関わる各々の職業人(プロフェッショナル)が各専門性を越えてコラボレーションするか。

①に関しては多くを説明する必要はないかもしれないが、特に日本の住宅街においては各々の専用住宅が敷地境界に塀を建てて内側に閉じた建ち方となっていることによる相互関係の無さに対する問題提起でもある。さらに近年コロナの影響もあり土地に根ざした人の繋がり(=ネイバーフッド)が世界的に見直され、如何に現代人が孤立化していたかということが浮き彫りになっており、前述の問題を抱えた空き家の改修、活用はネイバーフッド再生の一つの契機にもなりうると考えた。

WIRED VOL.41 NEW NEIGHBORHOOD 都市の未来とネイバーフッド 2021.06.14 発売

②は、働き方の問題であり、各々の専門性に閉じこもっていることで多分野の人との対話を難しくし、さらには対話を通じた有機的なコラボレーションが生まれにくく、そのことが、不動産業界と建築業界、さらには運営者との溝となり、空き家活用の一つの足かせにもなっているという問題提起でもある。
これは以前COCCAfでも話したことがある竿型(専門特化型)コラボレーションと山型(越境型)コラボレーションとの違いでもある。











 多くの人が指摘しているが、いろんな問題が重層化し複雑化した現代において必要とされる人材は多分野で高度な知恵と技術をもった越境型の人材であり、リンダ・グラットン氏がいうところの「連続スペシャリスト」である。私の考え方では、一つの専門性を高めるにしても、腹筋や背筋のように効いてくる他分野の専門性も必要になってくる。
今回のシンポジウムにおいても、各々の登壇者は肩書の職業の枠に収まらない働き方をしており、それが故に各業界で新しいことを成し遂げていると感じた。

 職業の専門性に縛られず横断的に職能の枠を越境している方々に登壇して頂きシンポジウムの後半では、不動産投資家、建築家、運営者、行政による立場の違う人たちのクロストークを行った。

ボトムアップ型の再生

 神戸市においても空家空地活用担当は都市局にあったが、なかなか進まないため建築住宅局に変わり、すまいの総合窓口とし「すまいるネット」を設立し個人にアプローチするようになったそうだ。空き家活用というのは基本的には土地区画整理事業や再開発のようなトップダウン型の街づくりとは違ったボトムアップ型の街づくりだと思うが、それだけでは十分ではないかもしれない。少子高齢化し縮小化していく日本において、全ての空き家が再生され活用されるべきかというとそうでもないと思うからである。


 コンパクトシティ政策との連動も今後重要になっていくと思われる。立地適正化計画で設定された居住誘導地域の空き家活用は進めていくべきだが、それ以外は解体し、日本全体として広がり過ぎた居住地域をソフトランディングしていく必要があると考える。こういうと、田舎を切り捨てるのかという反論を受けるが、私がコンパクトにすべきだと考えているのは高度経済成長期以降の多大な住宅需要によってスプロール化していった都市部のことであって、田舎を切り捨てる事ではない。むしろヨーロッパのように都市をコンパクトにすることで田舎との差異がより大きくなり、相互の有用性がより生まれると考えている。


大体同じスケールでの阪神エリアとミラノの比較


共助、ケア
 シンポジウムでのおせっかい不動産の高橋大輔さんの話で「住宅弱者」の話が印象的でだった。住宅弱者とは、外国籍や高齢者、同性カップル、障がい者、シングルペアレントなど、実際の経済状況だけでなく社会的なイメージによって、入居審査を受ける際に不利になってしまう人のことをいうそうだ。空き家が日本中で800万戸以上、住宅の14%程を占めるにも関わらず、住宅弱者が多数存在する。
 高橋さんは単に住宅弱者と呼ばれている人達に不動産仲介をするだけでなく、街に余っていてご自身でストックしている家具や家電を無料で提供している。また、介護施設であるはっぴーの家の不動産事業部でもあるため、訪問介護等のサービスもつけている。そういった人たちにとって、お金をかけてお洒落にしたような空き家は必要ではないという話もあった。家賃収入だけに頼る賃貸住宅の経営も多角化すべきだという。ハードの話だけで空き家活用を捉えがちだが、ソフトの重要性を痛感した。
 前述したように住宅街において専用住宅が多く各々の住宅が高い塀で閉ざされ敷地が孤立しているように、そこに住む人々も孤立していった。それによって土地に根ざした人の繋がり(=ネイバーフッド)がなくなり、今まであった共助(地域の人がお互い助け合う関係)が、セルフケア(自助)もしくいは行政の公助に取って代わってしまった。空き家活用によってネイバーフッドを再生することはハードの問題だけでなく、共助、ケアに関わるソフトの問題でもある。これは慈善的そう思うとうよりも、生存戦略でもあり、どうやって強い地域をつくるかという問題でもあると思う。自分もいつか老い自助や公助だけでは生きていけなくなる時がくる。その時に生きていける街が必要なんじゃないか。

2022/03/08

Nara











奈良に二月堂のお松明を見に行った。 お松明が始まる直前に、それまで安全のため点いていた照明が一気に消えた時の暗さや静けさが、状況は全然違うがオペラが始まる時のようで胸が高鳴った。そこからの美しさは言うまでもない。視覚だけではなく、音や臭いにも圧倒された。

この行は二月堂の本尊、十一面観音に日頃の過ちを懺悔する意味があるそうだが、同じ日に奈良国立博物館で聖林寺十一面観音を見た。和辻哲郎の古寺巡礼でも言及されている有名な観音像でやっと見ることができた。


お水取りが始まった頃と同じ天平時代760年代につくられたそうで、他に比較するその頃の日本の彫像を知らないが、ギリシャ彫刻のようなプロポーションの美しさを感じた。
空気を纏った衣の表現はナポリで見たCristo velatoを彷彿させる。
全てを見透かすような眼差しとは対極的な頭の上に乗っている十一の仏面は各々が喜怒哀楽を素直に出した表情をしており、当時の激しい世情を想像させられるが、今とあまり変わってないのかもしれないと思った。






















内藤廣さん設計の鹿猿狐ビルヂングも見学した。表通りから建物内に路地をつくり、その路地を通ると敷地内の裏庭に繋がり、その裏庭が結節点となり旧館の中庭に繋がっているという動線が素晴らしかった。
























内部空間は奇をてらわない構造を素直に表した空間だと感じた。軒天の木が余分に感じるくらい割り切った仕上の考え方で建築が背景に徹している印象を受けた。





























高さ関係に関しては1階が天井高2800程、2階が3100程というのは、内部用途的にも周囲のコンテクスト的にも少し高いように感じた。道路斜線ギリギリを狙っているように見えるが、そこは少し疑問が残った。
実はこの建物にアプローチする際に旧館側から入ったのだけど、その時に感じた天井の低い空間の親密性や置かれている商品との距離が、新館では天井の高さとガラスの抜けによって拡散しているように感じた。それは対照的で面白い部分でもあると思う。
現状、この1,2階の高さの設定によって3階の若草山への眺望や抜けが確保されている。この建築がこれからこの街をつくる一つのモデルになるのであれば、向かいにも同じボリュームの建築が建ち、その眺望は無くなるがそれでも良いのかもしれない。いつまでも2階建ての町家が残っていることだけが京都や奈良の価値ではないと思う。




2022/03/02

Hear the Wind Sing

風宮(かぜのみや)伊勢神宮外宮

「美しい山や谷を見たり、川辺や海辺に立つ時、私達の心に深い喜びが溢れる。それは私達の心が、深く大地に結ばれているからだ。大地に護られ、大地から恵みを受けて、力一杯生きていた太古の記憶が、私達の心と体の奥底に今でも生きているのだ。それは、私達の深奥にある根源の力だ。従って、人間は大地の上に建築を建てる時、それが単に物理的に地面の上に建つだけでは決して満足しない。私達の心は、建築がその根源において、大地と結びつくかたちをしていることを望むのである。」
香山壽夫『建築を愛する人の一三章』 (放送大学叢書、2021年、48頁)

 同著によると中国の風水や日本の家相も土地の力のはたらきを定式化し、それを効果的に利用するためにつくられたものだそうだ。

 マルチ・スピーシーズやモア・ザン・ヒューマンという考え方をちょっと前に週間読書人の記事を通して知った。僕の理解では、この言葉の意味するところは、人間中心の考え方はやめて環境のことも考えて行動しましょうというSDGs的な考え方ではなく、人間以外のあらゆるもの(動植物だけでなく石のような動かないものも含む)が声や意思(的なもの)を持っていて、それらと(できれば双方向の)コミュニケーションをとりながら生きることと捉えている。他を犠牲にするSurviveではなく共生的Aliveである。
 例えば、太陽や風のような自然環境をあらかじめ自分で設定した何かの目的にために利用するのではなく、まずそれらの声に耳を傾け提案を聴くというようなことではないか。僕も、人に限らず可能な限り多くの、あらゆるモノ(無形物も含む)の声を聴いて共創したいと日々模索している。
 デザインにおいて大事なのは問題への解決策自体ではなく、何を問題としてコミットするのか、その問題設定の時間的、空間的広さではないかと思う。狭く低いハードルを設定して、変わった飛び方(解決策)を競っているメディアとは違うところにデザインの価値を見出したい。

 その耳の良さみたいなものを鍛えるべく、いろんなツールを使ったりもしている。即物的で不十分な部分もあるが、その一つが今回とりあげる風の流体シミュレーションだ。
 下記リンクより日本のあらゆる場所の風況情報を知ることができる。https://appraw1.infoc.nedo.go.jp/nedo/index.html

 CLIMATE CONSULTANTというソフトでも世界のあらゆるところの環境情報を可視化できる。https://www.sbse.org/resources/climate-consultant



 これらはあくまでも統計なので、実際は現地にいき、長くそこで生活している人の話を聞いたり、その場で感じた方が良いというのは言うまでもないが、これらのツールでもかなりのことを知ることができる。

 これらの情報(現地の生の情報とネット上の統計)をもとに街や建築の3DモデルをCFD解析ソフトを使って、どのように風が抜けるか等をシミュレーションすることができる。

 ある程度の知識と3Dデータの扱いができる必要はあるが、simflow(https://sim-flow.com/)というCFD解析ソフトとparaview(https://www.paraview.org/)というシミュレーション結果の可視化ソフトが無料で提供されている(simflowは20万メッシュまで無料。前述のCLIMATE CONSULTANTも無料。このあたりの国産ソフトは年間100万円以上するものもあるが、少し頑張れば無料で解析できるので学生にもオススメ。)

2022年2月27日にアンカー神戸(神戸三宮阪急ビル15階)で行われたJapan XR FestというARやVRの最新技術にふれることができるイベントにて、XR CITY LABの方々と協働で三宮を抜ける大地の呼吸、六甲おろしをARグラスで体験できる作品を発表した。下記がその映像と説明。阪急ビル15階にあるアンカー神戸からARグラスをかけて三宮の街や山々を見ると、そこを通り抜ける風が可視化されて見えるようになっている。

ABOUT

目に見えない大地の呼吸(六甲おろし)をARグラスで体感するプロジェクト。地球の大気と街との相互作用によって生まれるカタチを流体シュミレーションによって生成し、VPSシステムとARによって空間に再現します。

ARグラスをかけて、ゆっくりと呼吸するかのような美しい大気の流れの中に身を委ねると、ガイア(地球生命)を感じることができます。サスティナビリティーという言葉をよく聞くようになってきたものの、それは人類にとっての持続性という意味であり、地上の生命種全体としての持続性ではありません。人間以外の生命の存在(マルチスピーシーズ)を感じることは、本当の持続性に通じています。このプロジェクトは、人間と自然の共生のためのイマジネーションを拡張してくれます。この作品は、XR CITY LABと文化工学研究所の建築家、北川浩明氏とのコラボレーションによってつくられました。

この作品をつくるにあたって、山も含めた広範囲の3Dモデルを現地の風況情報を参考にしながら5分程度の山からの風の動きをシミュレーションしている。










 上のシミュレーションの絵を見ても分かるように、山は一部しかシミュレーションの範囲に入っていないため(それでも1.5km程度)、かなりの範囲を鳥瞰できる15階にあるアンカー神戸からみると範囲としては十分ではなく、大地の呼吸のダイナミックさとしては不十分だったかもしれない。それでも、普段目に見ることはできない風の動きをリアルな風景と共に感じることができるARの技術には可能性を感じる。

Anchor Kobeから山側を見る

XR  CITY LABの方々とはARルミナリエという実験も行っており、コロナで開催されていない神戸のルミナリエをARで実験的にオリジナルのカタチで取り組んでみた。



 
 普段の建築プロジェクトでも流体シミュレーションを通して分かることがある。

 これはあるマンションの一住戸の改修プロジェクトで、通常の3LDKの間取りでは上2つのイメージのように風の出口が確保されていないことから、廊下に面して玄関扉を開け放しておかないかぎり、風は抜けない。



 そこで共用廊下に面した部屋(右)とリビング(左)の間に開け放しておくことができる収納部屋をバッファーゾーンとして挿入することで、風通しを良くするとともに、エアコンも1台でまかなえるように計画した。もう一つのポイントとしては、収納部分で開口を絞ることで風速が上がり各部屋ではより清涼感を感じれるともに、収納に湿気が籠ることを防ぐということだ。これは昔から日本にある知恵だそうだ。

「「透かす」とは隙間をあけることからきた言葉ではないかと私は考えている。蒸し暑い夏をもつわが国では、風通しよく住まうことが住居の第一条件であった。隙間を通る風は開け広がった空間を通る風よりも涼しい。隙間を空ければ湿気で腐るということがない。」
『西澤文隆の仕事(一)透ける 』(鹿島出版会、1988年、30頁)


左官職人の八田公平さんによるキッチン腰壁と背面の土を含んだ左官壁が通常マンションでは得難い自然との繋がりを生んでいる。

 このプロジェクトでは、環境工学的な風通しの良さを追求することが、人間関係の風通しの良さにも繋がるのではないかと考えていた。前述した通常の3LDKでは廊下を介して、幾つかの扉を経て各部屋があるため、風も通らなければ、視線や音も通らない、当に個室が離散している状態で家族間のプライバシーは確保されるかもしれないが、直接繋がる契機を失っている。本プロジェクトではマンションのつくり上、共用廊下側の部屋にエアコンを取り付けることが大変困難だったという問題への解決にもなっているが、それ以上に家族間の風通しを良くし、さらには共用廊下側にも多少開かれることで近隣との人間関係における風通しの良さも生まれるのではないかという考えもあった。一方で収納スペース2箇所にある両引き戸を閉めることで、各部屋への視線や音をシャットアウトすることもできるように設計している。


 志摩の入り組んだ湾に面したいくつかの施設を宿泊施設に改修するプロジェクトでは、現地で長く漁業に携わられている方に聞いて、真北からの強い風(キタッポと言うらしい)が多いと聞いたので、その北風がこの湾内でどのような動きをして各々の施設に影響するのかをシミュレーションしてみた。山の地形によって緩やかに風がクランクして真ん中の中核施設が大きく影響を受けることが分かる。季節が良い時は風を取り入れやすくするために開口を大きくとったが、一方で雨戸等で強風対策もしている。






神戸市長田区の駒ヶ林にて建築家の高橋さん(https://arch-takahashi.com/)とアトリエ、ギャラリー付のシェアハウスのプロジェクトに取り組んでいる。このプロジェクトは住宅密集地にあるため、海が近いものの風通しが良いとは言えないが、どのような風の流れがあり得るかをシミュレーションしてみた。風況図より南南西や西からの風が頻繁に吹くことが分かったが、周辺の建物と道路の関係から西風を取り入れることを模索すべく西風3m/sでシミュレーションした。





上記がシミュレーション結果であるが、住宅密集地であるため路地を通り入り組んだ風が土間西側の入口から入ってきて、南側にある別の入口から抜けていくとうのがメインであった。これではあまりリビングの通風が確保されていない状況であるため、リビング西側にある個室との間にある壁を取っ払って解析をしてみた結果が下である。



 西風が吹いた時のリビングの風通しは格段に改善されていることが分かる。シェアハウスの共用部分の風通しの良さを確保するということは、環境的にも人間関係的にも重要になってくることから、今後の設計を進めていく上でも参考になるシミュレーションである。
 このようにデザインプロセスに周辺の地形や風、太陽などに参加してもらうことで、いろんな提案を受けることができるのではないか。現段階ではマルチ・スピーシーズとの研究の場でも、声なき自然物に声を与える手法としては人間を代理人にたててロールプレイのようなことをされたりしているそうだが、もっと進んでいけば、より密度の高いコミュニケーションがとれるのではないだろうか。

 最後に前述の西澤文隆の本に書かれてある、風、風水、家相に関わる面白い話を紹介する。日本どこでも同じ家相や風水を当てはめるのは間違っているのではないだろうか。

「本来、日本では人と自然の間に境界はなかった。国津神は、動物も植物も含めて生きとし生けるものがすこやかに育つようにと願った。人が己の生活のために土地を画して占有し、その中で勝手気ままな生活を営むことは神のご意志に反する行為であるから、神にお断りしなければならない。そのため屋敷内に国津神を祭ったのが、わが国の鬼門の始まりであるという。鬼門はそもそも洛陽の都で、冬、東北から寒風が吹きこむので東北を鬼門として塞いだ。日本では神に不浄の生活を曝すわけにはいかないので祠の方向を塞がねばならないが、開放好きの我が祖先は二カ所も塞がなくてすむように、神を鬼門の位置に祀ったのだという。要領のよい祖先である。日本人の開放好きは蒸し暑い夏への対処に起因するが、つねに開放して差し支えない温和な気象のためでもある。」
『西澤文隆の仕事(一)透ける 』(鹿島出版会、1988年、15頁)