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2014/06/18

Gehry @Bilbao, Venice

大分前に見たビルバオのグッゲンハイム美術館の個人的な感想をいまさらだが思い出したので少し記しておく。


ビルバオの街、道路、川との繋がりや異質性、工業地帯という歴史との対応などの話もあるが、それとは別に、この建物がどこか不完全で表裏、四方様々な顔を持っているということが気になった。
ボリュームや仕上げが分裂的で、例えば写真の左側に写っている橋から降りる階段が収まっているタワーのようなボリュームは仕上げが三面しか施されていなく構造体が見えるようになっている。その構造も優等生的な最適解というよりも、ある種非合理的にも見えるような彫刻的構造体だと感じた。美術館内部の構造に関しても同様の印象を持った。







2008年のベネチアビエンナーレで見たゲーリーの展示でも同じように、表だけ仕上げをし裏の構造を見せていたが、その構造体もただの支えとして機能している以上の物体として存在している。



分裂的と言ってしまえばそれだけになってしまうが、(ゲーリーは意図的に)完全に輪郭を作りこむことを避け、観る者によって多様な輪郭が結ばれるよう途中で止め、統合を避けているような印象を受けた。
よくある、ボリュームや形態の暴力性や異質性に対する批評とは裏腹に、建築家としての倫理観のようなものも感じる。
逆に内部空間においてはもう少し演出的で、ある人が「何を置いてもゲーリーになる」と言っていたが、統合的な内部空間が完成しているのかもしれない。