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2015/01/19

At home everywhere, at home nowhere

神戸で知り合った、フィンランドから来ているアーティスト夫妻、PekkaとTeijaの演奏を見にポートアイランドターミナルのQ2へ。
彼らは元々音楽のアーティストではなく、テクノロジーと生物の間のような、彫刻のようなモノをつくるアーティストだけれど、彼らが奏でる音楽もまた素晴らしかった。
メキシコやドイツでインスピレーションを受けて作ったというブルースのようなラテン音楽のようなフィランドの香りがする音楽を奏でる。

その後に演奏した鞴座(ふいござ)という日本のグループも彼ら夫妻と音は全然違うが素晴らしかった。彼らの楽器もアイルランドの笛やバグパイプ(スコットランドのバグパイプよりも音が小さく室内楽に向いているらしい)やアコーディオン、ギターなど、多国籍な楽器を使い、カリフォルニアやブラジルでインスピレーションを受けたという曲を演奏していたが、僕には日本の曲、民謡のようにも聞こえた。
どこから来た音なのか、どこの楽器なのかなど関係ない。それを操る(操られる)身体という逃れられないシステム、メカニズムがあるだけ。
伝統への固執は伝統の自己否定でしかない。
というようなことを2組の演奏を聴いていて考えた。