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2023/02/28

神戸洋家具シンポジウム


 兵庫建築士事務所協会主催のシンポジウム「神戸洋家具の過去・現在・未来 -神戸洋家具再生の道程を探るー」に参加しました。
 神戸洋家具は、神戸における重要な産業の一つですが、昨今は安価な日本の家具メーカーや 北欧家具の台頭によって厳しい状況にあるそうです。2018年まであった神戸ものづくり職人大学でも洋家具のコースがあったそうですが、日本における洋家具産業の需要が落ちてきており卒業生の就職先がなかなかなかったそうです。
 しかし神戸洋家具は神戸の歴史的資源の一つであり、コモンズとしてどのように継承していくかというのが本シンポジウムのテーマでした。

 
 ショートレクチャではまず、神戸芸術工科大学の佐野先生より神戸洋家具の発祥や変遷等の話がありました。ペリーにおける日本の開港以来、洋家具の文化が輸入され、近代型地場産業として東京芝家具、横浜洋家具、神戸洋家具の3つが生まれ、1871年には国の礼法も平座式から立式(椅子式)になり、徐々に日本人の生活の中にも椅子が入ってきたそうです。
 当時はイギリスのヴィクトリアスタイルの洋家具をただ模倣していただけだそうですが、大正期、1910年代にはイギリスへ輸出するほど技術が高くなっていたそうです。和家具の職人よりも船大工が曲線の加工に優れていて、当時船も和船から西洋の船である航船?が主流になってきており、仕事にあぶれた船大工が洋家具の仕事をしていたというような話が興味深かったです。
 そこから昭和に入り、徐々に日本の地域文化に応じた独自の変化を遂げていったそうで、日本のスタイルに合うように少しシンプルに、簡素化された洋家具になっていったそうです。それは神戸でいうと阪神間モダニズムの時代と呼応しているそうです。フランク・ロイド・ライトが芦屋川で設計した山邑邸(現・ヨドコウ迎賓館、1924年)がその次代と呼応しています。現代の我々からすると十分装飾的に感じるかもしれないですが、ヴィクトリアスタイルから比べると地域文化に合うように変遷を遂げたものだったそうです。
 その後、戦後はアメリカの大量生産を前提としたアメリカスタイルの合理化された家具が主流となってきており、今に至るというようなお話でした。その合理化された家具の対局である高級家具として差異化され神戸洋家具はブランドを保っていたそうです。
 
山邑邸 / フランク・ロイド・ライト、1924年

 次に兵庫県家具組合連合会会長であり株式会社クレアシオンフジイ/ 株式会社藤井正商店の藤井さんからご自身が幼少の神戸の風景から始まり様々な話がありました。当時は戦後は神戸港に行けば水兵さんがいてチョコレートを投げてくれていたそうです。塩屋の坂の上、ジェームズ山の方にある洋館へリアカーで家具をとりに行き家具をリペアする仕事を最初はお父様がされていたそうで、そこから、オリジナルのベッドを真似して作られたそうです。
 高度経済成長期には婚礼家具で神戸洋家具のクローゼットが流行り、東京のデパートからの需要も多く、週末には神戸からトラックへ婚礼家具を積んで東京へ行っていたそうです。婚礼家具や家具工事のみならず、建築工事も含めトータルで家をつくられていたそうです。
 神戸洋家具の特徴としては、①クラシックデザイン②永続的に使用可能(無垢材を使用し、接着もニカワなので何度でも修復できる)③オーダー家具(サイズ等)、だそうです。

 次に東京から来ていただいた建築家、tecoの金野さんからのショートレクチャーがありました。金野さんは家具が①ふるまいを支える治具②永く寄り添うパートナー③地域資源を知る入り口、であるという面白い切口から捉えており、ご自身の建築プロジェクトにおいても家具デザインや家具レイアウトを含めトータルに提案されているそうです。
 大学の研究室でも最初に学生が皆、自分の椅子をつくるところから始めているそうです。触れて理解することを大切にされているとのことです。


 第2部は京都工芸繊維大の笠原さんを進行役としたパネルディスカッションがありました。
 昭和初期はモダンよりもクラシックの方が金持ちの代名詞として人気があったそうです。村野藤吾の師匠である渡辺節も村野藤吾に「TOO MUCHモダンは売れないからダメ」と説いていたそうです。そこからバブルまでは一般家庭でも豪華さの様式であったロココが人気だったそうです。関東と関西の当時の建築文化を比べても、京都の町家のように関西の方が繊細なプロポーションをもっていたそうで、それに合うように明治期から昭和期にかけて洋家具もチューニングされていったため、東京芝家具や横浜洋家具に比べて神戸洋家具の方が阪神間モダンに合わせた華奢なスタイルであったそうです。藤井さんも猫脚に象徴されるような神戸洋家具の優雅な椅子の曲線を強調されていました。
 今後の可能性としては、子供のファースト家具として神戸洋家具を採用し、教材として扱ったり、職人の技術をリペアに活かしたりして、古い洋家具を継承していくこと等が挙げられていました。
 
 私が住んでいたイタリアでも当時(2008-2013年)から同じような問題は起きていて、IKEAの台頭などで(週末にミラノのIKEAに行くと大混雑!)家具職人が職を失っているという話はよく聞いていましたし、ウルビーノのような職人たちがかつては街中に工房や店をもち賑わっていた街も、グローバル企業の店が増え、はっきりいって魅力がなくなっていました。
 今治タオルのように神戸洋家具をどうブランディングして魅力を伝えるかということも、方法としてはあるかもしれませんが、このような問題は何も家具単体の話ではなく経済や社会全体の話で、新自由主義経済によって競争させられ分断された側面が大いに影響していると思います。なので今回、兵庫建築士事務所協会が、神戸洋家具をテーマとして取り上げてディスカッションしたように、各業界が分断を乗り越えて話し合うことで、地域産業全体に連帯が少しずつ生まれ、それがローカリゼーションに繋がっていくことで地域産業や経済のあり方が変わっていくのではないかと思います。
 さらに突っ込んで書くと、神戸洋家具はチークやラワンなどの輸入材を多く使っていたそうですが、まず地域の一次産業も含め、ローカリゼーションの文脈で地域の他産業や人々との関係性を繋いでいったら変わっていくかもしれません。