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2014/07/02

Qrion

©SenSe
Qrionという聞いたことがなかったアーティストのSinkという曲をたまたま聞いて良かったから調べてみると、なんとQrionは19歳の日本女子だった。北海道、札幌を中心に活動しているみたいで、札幌のSenSeというレーベルから音源を出している。



しかも、下記のリンクから無料でアルバム三枚の音源を配布している。素晴らし過ぎる。
四つ打ちだけでなく、ラップ、ダブステップ、ブレイクビーツなども横断的にミックスしている。一般的にはエレクトロニカ・アーティストとか言われてしまうのかもしれないが、ジャンル分けに必死なオジさん方を横目に軽々とジャンルの枠を飛び越えている印象を受けた。海外のクラブミュージックを自明のものとしてそのまま受け入れ、輸入業者になってしまった日本の(クラブ系)アーティストとは違った風通しの良さのようなものを感じる。

ジャンル、形式を跳躍する感じや、自分の声ーQrion自身の声かは分からないがーや、様々な楽器を使って横断的に音を作り全身で音楽表現をしている感じは何となくGrimesやNicolas Jaarを思い起こさせる。彼らが20歳そこそこで表舞台に出てきたという事も共通している。三人とも音楽表現としては全然違うが似たものを感じる。



Grimesの影響を受けたアーティストがマリリン・マンソン、マライヤ・キャリー、デビット・リンチ、あとマンガの「AKIRA」などというのも分裂的で面白い。



Nicolas Jaarはサックスなどを含めたバンドセットで出てきたり、民族音楽的要素が入っていたりと多様な表現をしている。最近はDarksideというユニットでも活動している。
「Space Is Only Noise」が出てすぐの2011年にミラノで見たときはバンドセットで聴かせる系の曲が多かったが、2013年にバルセロナのソナーで見た時はBPMを変幻自在に変えながら踊らせるパフォーマンスだった。

何で聞いたのか読んだのか覚えていないが、彼のインタビューの言葉で「テクノは早くなりすぎた。そのせいで音楽から多様な、豊潤な要素が失くなってしまった。」といったような内容の事を喋っていたと思う。
美術、建築、デザインなど音楽以外の分野でも同じような事が言えると思う。
去年ミラノのPalazzo Realeでジャクソン・ポロック展を見た時に同時代に活躍した抽象表現主義の画家の作品も展示されていたが、何か物足りなさを感じた。
自分のリテラシーの無さからくるのだと思うが、率直に言うと、どれも同じに見えた。

Jackson Pollock, Number 27, 1950
© Jackson Pollock by SIAE 2013 © Whitney Museum of American Art


ジャクソン・ポロックに関していうと、(彼の名前のついた展示会だけあって)ドリッピングの作品だけでなく具象画のようなものも展示されており、様々な表現の中に彼の人間的複雑性が見れたような気がして面白かった。あとは日本のカリグラフィに影響を受け、そのまま書道を絵にしたような ー書から漢字の意味を排除すればただの形になるー 作品だったり、ただの反復に感じた。

Willem de Kooning, Landscape, 1949
© Whitney Museum of American Art © The Willem de Kooning Foundation by SIAE 2013




Franz Kline, Mahoning, 1956
© Franz Kline by SIAE 2013 © Photography by Sheldan C. Collins
玄人には分かる違いがあるという人もいるかもしれないが、そもそも情報量が少なく単一化してはいないか。還元的というよりも排除的な表現のように思う。
展示の終わりの方に抽象表現主義の歴史年表が写真付きであったが、その一番初めの写真が長崎に落とされた原爆のキノコ雲の写真で、そこから抽象表現主義の歴史年表が始まっているのが象徴的に思えた。



40年代に抽象絵画がでてきた当時のアメリカでは新しく衝撃的だったのかもしれないが、後はその繰り返しに見える。同じ単調なビートの曲をずっと聞かされているようだ。
音楽のハウスやテクノ・ミュージックなどをミックスする時でも抽象化された単調な電子音だけの曲だとビートとBPM(速さ)さえ合っていれば、それなりに繋がって聴こえるが、そこにある種の不確定要素、声やアナログ楽器、民族音楽的要素が入ってくれば容易にミックスできない。
形式化した単一な絵画や音楽の前で玄人ぶって腕を組んで違いを分かったようにするのも良いかもしれないが、ジャンルの枠を一歩外に出ると尻込みしてしまう。
(僕の知ってる限りの)音楽に関して言えば、10代、20代の若者の方が風通しが良く、ジャンル分けされたヒットチャートなどに惑わされずいろんな音を聴き、横断的な表現をしているように思う。

あと余談だけども、Bloodthirsty butchers, Eastern youth, Cowpersなどの札幌ハードコア・シーンを始め、札幌の音楽シーンが昔から面白いのは何でだろう。しかも皆、西欧かぶれしておらず独自の音をちゃんとミックスしている。それを開拓民的と片付けるのは安易過ぎるかもしれない。
それにしても、昨今の日本ではあらゆる分野で西欧モノを輸入しそのまま受け入れ、ミックス、リミックスもしなくなってしまったように感じる。最近、輸入雑貨屋が多くないか。ブカブカの服をそのまま着せられていやしないか。吉村さん、、、