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2013/02/03

動的状況と直感

http://bababbu.blog.shinobi.jp/Entry/34/
2013年1月27日投稿、「時代と人間」への書簡。

細尾直久様

僕が前回の書簡で書いた「危険」というのは言葉として強すぎたかもしれません。
災害時におけるような物理的な危険ではなく、日常における精神的な安全、危険という意味だったのですが(事故という言葉も同様)、よくよく考えてみると「安定、不安定(動的)」と言ったほうが良かったのかもしれません。

直久さんが言及していたVito Acconciの作品がどれなのか僕も見つけられなかったのですが、別の作品で「Community House」と「Where we Are Now」というものを見つけました。
http://disegnodaily.com/interview/vito-acconci

自己と他者、プライベート・スペースとパブリック・スペースという概念についてラディカルな示唆に富んだ作品だと思います。
自転車に乗る他者が介入することで、家が切断され外部と関係をもつなど、直久さんが前回書いた話に繋がると思います。

直久さんが書かれていた、

危機が迫ったときに、ひととひとは、手をつないで、支えあおうとする。そう考えると、不安で、緊張感のある時代にこそ、ひとは人間になるのかもしれません。

という言葉、共感します。

物理的、フィジカルな安全、安定が確保された社会では、人は一人でいる方が精神的にも安定していると錯覚し、引きこもるのかもしれません。
危機が迫った時に、他者とのコミュニケーションを始め、ある種の不安定、動的な状況を通ることで、そのさらに奥にある安全を求める。
そう考えると、不安全な今の日本の状況において坂口恭平のように自己やプライバシーの概念を解体したような人が出てきたことに僕は納得できます。

直久さんが出された象設計集団の例も、これまでの話に繋がると思います。
ある意味雑多で多様な要素を排除することなく取り入れ、空間をつくるという、管理が難しく動的な状況に対峙している(もしくはできる)建築家が現在では少ないようにも感じます。
近代科学のように扱えない(管理できない)ものは排除し、要素をシンプルに記号化し、神の視点でアルゴリズムなどを使い設計を行っている建築家が雑誌を賑わせている現状には疑問を感じます。

何で読んだか聞いたのかは覚えてないですが、確か将棋士の羽生善治がスーパーコンピュータと将棋の試合をしてもミスがない限り負けないという話を思い出しました。
コンピュータは分析はできるが直覚がないからだというような話だと思います。
プロの将棋士は2時間かけて分析した後に手を打っているわけではなく、盤を見て瞬時に直覚したものを2時間かけて正しいか分析しているらしいです。
cf.) 小林秀雄講演集4 「現代思想について」

その時、プロの将棋士の頭の中で起きている「ひらめき」は、ある種の偶然でありコンピュータには(未だ)ない能力らしいです。
藤原正彦曰く、数学者も同様で、彼はそれを「美的直感」というように呼んでいたと思います。
証明はできないが、「この数式は美しいから間違っているはずがない」と何年もかけてその数式を証明するという話でした。
もちろんコンピュータの分析能力は非常に役に立っていると思いますが、それに終始寄りかかり要素を単純化、記号化した状態で分析的に物事を設計するのはどうかと思います。

なので、象設計集団のような設計は過去のもので、アルゴリズムを使った設計こそが最先端で新しいとは思えないです(誰も思ってないかもしれませんが)。
むしろコンピュータに寄りかかりすぎ、直感が退化しているように感じます。

磯崎新が原広司との往復書簡で

「天災や大事故が起こったとき、アーキテクトは通念では科学的に無根拠にみえる構想で対処せねばならない。無根拠を根拠づけうるか。確率論的手続きではまに合わない。」

と書いていますが、この言葉は正にプロの将棋士がやっていることに似ていると感じました。
建築家やデザイナーも考えていかなければいけない部分であると思います。

支離滅裂な文章になってしまい申し訳ないです。
書きながら関連することで思い出したことを書いてみました。
気付けば、中途半端なコンピュータ批判みたいになってしまいましたね(笑)。
設計に関しては、もう少し具体的に思考を進めていきたいと思ってるので、また機会があれば書きます。
さすがに直感という一言では終われないので。

二月になりましたがミラノは曇り続きでまだまだ寒いです。不景気の影響かスリやボッタクリの被害をよく耳にします。
去年あたりからイタリアの治安がさらに悪くなってきているように感じます。
ここから日本を見ると、とても安全に見えるのですが実際のところは分からないですね。

北川浩明


書簡の内容とは関係ないですが、一昨日行ったベネチアで見た改修中のクエリーニ美術館の橋(スカルパ設計)です。
床板材を支えるサブストラクチャーのディテールまで美しいです。